消したい過去、消えない記憶

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 緒方紗羽。先天性心疾患である心房中隔欠損症の患者だった。 心臓外科と循環器内科でのカンファレンスでは、当然のように手術ありきの方向で話が進んでいた。 そんな中で、手術に疑問を抱いたのが原だった。  治療方針を話し合うカンファレンスの席で重鎮たちを前にまだ若き内科医だった原は勇気を出して発言した。 「彼女のIASD(心房中隔欠損)は成長と共に確実に小さくなっています。 シャント率も15パーセントを維持しています。 VSD(心室中隔欠損症)ではありませんから、肺高血圧症を起こすリスクも少ない。 ここまで手術をせずにこられたじゃないですか。 免疫不全も患う今の彼女には開胸手術に耐えうる体力はとてもありません。 内科治療でこのままいけませんか」  循環器内科、心臓外科の教授達の決定事項を覆すことなど、若い医師にはとてもできる事ではない。 部屋には不穏な空気が満ち、重い沈黙に包まれた。 直接の上司である循環器内科教授は驚きとも怒りともいえない表情で瞬きもせず原を見つめていた。  ここで意見したことを後悔などするものか、と拳を握りしめた原だったが、誰一人味方もいないこの空間に胸が潰されそうになっていた。  その時沈黙を破ったのは心臓外科助教授になったばかりの辻勇蔵だった。 彼は、ちょっといいですか、と手を挙げ、言った。 「そのクランケは、僕も切る必要はないと思いますね」
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