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「安心して、私は口が固いんだから」
肩を竦め、コミカルに言った綾子の笑みは、賢吾の心をふわりと抱いた。
凍ったように冷たく強張っていた賢吾の顔が、たった今温もりを与えられたように解れ、笑った。
「綾子先生には、敵いませんね」
賢吾はそう言い、顔を覆っていた手は放したが今度は視線を足元に移していた。
綾子は特に催促するでもなく、賢吾の言葉の続きを待った。
賢吾は、少し間を置いて、ゆっくりと話し始めた。
「今、院内に不穏な空気が流れ始めていること、綾子先生ご存じですか」
綾子は、そういえば、と二、三日前に父と夕食を共にした時のことを思い出した。
どんなに忙しくとも家族との時間を大事にする父は、必ず週に一度、妻と娘を都内のレストランに招待し、家族水入らずで過ごす時間を大事にしていた。
そんな時の父は、働いたことのない母に気を遣い、仕事の話はほとんどしない。
しかし、二、三日前の食事の席で父の話は珍しく院内人事に話が及んだ。
父がふと漏らした言葉を、綾子は思い出したのだ。
「そろそろ、膿を出さなければいけない時期が来てるのかもしれんな」
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