約束のラフマニノフは、別れの序曲

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 美羽の身体を初めてしっかりと腕に抱いた嵐の夜に、自分の心は決まったのかもしれない。 忍は、ゆらゆらとマグカップから立ち上るホットコーヒーの湯気の向こうに、あの夜の光景を見ていた。  紗羽が死んでから、忍は彼女の娘である美羽とは距離を置いてきた。 美羽の中に紗羽を探そうとしたりせぬよう、深く関わらないよう、なるべく接点すら持たぬよう努めてきたのだ。  しかし、兄と妹としての関係を築いてこなかった忍と美羽が、自らの意識下の領海に互いの存在の侵入を許した時、築き上げてきた全てが崩れてしまった。 「忍、一つだけ、言っておきたいんだが、いいか」  庭を眺めたまま黙し、微動だにしない忍に和也は静かに声を掛けた。 窓の外に向けられていた忍の視線が、和也に移動した。 感情を見せない切れ長でクールな目を見つめ、和也ははっきりとした口調で言った。 「美羽は、さっちゃんじゃないぞ」  和也の短い言葉に多重な意味が込められていることが、忍には分かった。
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