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コーヒーの良い香りが今日も店内に漂っている。正直、嗅ぎ飽きた匂いだが、好きな人にはこの香ばしい香りが堪らなく神経を高揚させるのだろう。だって、僕の隣でせっせとミルでコーヒー豆を砕いている店長は、今日も恍惚とした表情を浮かべているのだから。
「百瀬君。この豆はついさっき焙煎したばかりの最高級の豆なんだよ。ブルーマウンテンって知っているだろう? ジャマイカ産のすごいやつさ。生豆の卸価格からだと一杯千円は欲しいところなんだが、今日は奮発して一杯七百円で出そうと思っているんだが、どうだろう?」
「どうだろうって店長。この店ってそんなに景気良かったんでしたっけ?」
「な、何を言っているんだ。商売の基本は損して得取れだろう? 私はコーヒーをこよなく愛しているから、ホント言うとコーヒーに値段など付けたくないんだよ」
「店長。あなたは道楽でこのカフェを経営してるんですか? 僕っていうアルバイト店員がいることを忘れないでくださいね」
「あははー。大丈夫。私の大親友の百瀬一彦の息子の君に、バイト代を支払えないなんてそんな格好悪いことしないさ。私には秘策があるんだよ」
「秘策?」
「そうさ。だからこそ、今日はこのブルーマウンテンを大盤振る舞いできるのさ」
「どういう意味ですか?」
「まあ、私としてはだね、百瀬君さえ良ければさ、裏方じゃなく接客として使いたかったんだが、こればかりは本人にやる気がないからしょうがない」
「嫌味ですか?」
「まあ。正直嫌味だ。君はどうしてそう消極的なんだろうね」
「またそれを。店長、もうその話はやめてください」
「分かった。分かった。実はね、今日新しいバイトの子が来るんだよ」
「え! バイト? どうしてですか? ぼくだけじゃ駄目なんですか?」
「別にそういうわけじゃないさ」
店長は機嫌良くそう言った。でも、僕はそれが嫌だった。父の友人である店長以外の他人と一から関わらなければならないのかと思うと、気分が憂鬱になる。
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