第1章

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中学2年の春に開かれるバドミントンの新人戦に出ると、S君はベスト4まで残り、その時は主将が優勝した。秋の中学校体育大会では、Sは春と同じく準決勝で負けて3位だったが、主将の先輩は途中で負けていた、相手との相性がわるかったのだろう、バドミントンはプレイスタイルがちがう変則のプレイヤーだと点数をとっていくのが難しい。いまでは、バレーと同じく、ラリーポイント制になったが、当時はサーブ権をもっている側が加点できたのである。当然、試合時間が長くなるし、きちんとトレーニングしてないと、足をツッテ負けることもあった。 3年生になったら、どういうわけか、S君が主将に選ばれた。断る理由もなかったし、バドミントンが好きだったので、懸命に練習した。おそらく、それから7年間ぐらいバドを続けたが、この一年間は、本気で練習にとりくみ、基礎トレーニングも確実にこなして、プレーするのが楽しかった。また、同級生や下級生もよく無茶な練習についてきてくれたとおもう。おかげで、中総体で団体優勝し、個人戦でもシングルス1位とダブルスも3位の好成績であったし、秋に行われた県中総体では、完全優勝をした、ほんとにできすぎの結果であった。冬には、3年生は、部活動から追い出され、高校受験に向けて勉強に励む毎日でした。 そんな12月頃だったと思うが、記憶が正しければの話しだが、長崎の国際体育館で、その時、世界最強のバドミントン選手、もちろん全英選手権やデンマーク選手権で何回も優勝していた、エルランド・コプス選手が招聘され長崎で、国際親善試合が開催された。 image=508252508.jpg
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