第1章

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寂しさの極み ちょうどかれこれ5年前の秋、西風が己の耳元でなにやらささやき、さっと頬を撫でて行くのです。 己は、いつも自然に触れていないと気持ちがふさぎ込んで狂いそうになるのです。 原生の樹林が生える深い山の中にわけいって、きつい登攀に耐え岩稜の峰々を歩きまわるのは、なんの目的なのでしょう。 山歩きの途中に出会ったある山ガールから、「ひとりで心細くないのですか、ひとりで歩いて寂しくないんですか」と尋ねられる。 「ちょうど、今月から地元の市民登山教室を受講しているんです。」と嘘の返答をしてしまう。実は、ほんとうの寂しさを捜しているところなのです。 己は、何処から来て、何処にいくのか、そしてほんとうは何をしたいのかわからないのです。これから何をすればよいのでしょうか。まさに、「幾山河越えざりゆかば」 心境なのでしょうか。 ほんとうの寂しさ、寂しさの極み それは、生きているあかしなのか それは、楽しさの後にやって来るものなのか それは、素晴らしい景色に感動するからなのか 人生のほんとうがそこにあるからなのか 己は、60年生きてもまだほんとうの寂しさを見つけられないでいる 寂しさの極みに耐えられない、こころのどこかがひりひりとする やはり、ほんとうの寂しさは己の魂のいちぶなのかもしれない
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