第1章

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生きている不可思議 冬の登山道を歩いているとときおりストックが岩に立てかけてあったり、サングラスが小枝に引っかけてあったり、手袋がおいてあったりする いろんなものを偶然に発見したりする、そんな時は無心で歩いていることがおおい、歩くことに集中している 逆に、なにやらぼーとして歩いていると岩に足を突っかけて転びそうになる ある詩人は、「現代詩は何を問うべきかという前に、どうあったかを確認することが大切である」と述べている 自己に置き換えると、これから自分は何をしたいのではなく、まずその前提である自分はどうあったか自分はどうありたいのかを見つめることが必要であることに気がつくのである 生きる、あるいは、生きてあるということは、アプリオリすでに与えられた存在ということになる かつてのアラビアの大詩人の四行詩によれば『もともと無理やりつれ出された世界なんだ/生きてなやみのほか得るところ何があったか/今は、何のために来り住みそして去るのやら/わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ』 先人はわたしのこころにひびく味わい深い言葉を残している、おそらくどうして生きているか、どうして存在しているのかなんて問うべきではないのかもしれない。 image=503409816.jpg
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