君がくれた世界

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 大きく揺れる中で慌てて倒れた松葉杖を取ろうとする。右足を庇いながら、ウーンッと体を伸ばしていたら車掌台の村瀬さんが、さっと手を伸ばして松葉杖を拾ってくれた。 「寝ていたのかな? 気をつけてね」  優しい言葉に、すみません、と消え入るような返事をして火照る顔を見られないように下を向いた。電停が近づく度に村瀬さんが車掌台の窓を開けて前方を確認する。車内の空調で冷えた体の表面に外からの温かな風が、さあ、と触って温めてくれる。  ――ほんとに眠たくなってきた……。  チラリとまた、村瀬さんの背中を見た。こんなに揺れるのに、しゃんと背筋を伸ばして村瀬さんは立っている。  ウトウトし始めて左の車掌台の背凭れに頭を寄せてみた。時折、村瀬さんが動く気配を感じて、まるで彼の広い背中に寄りかかっているような感覚に陥りながら、すうっと意識が途絶えた。  ガタッ、ガタンッ。  あ、どこだっけ? ああ、宮島線に入っているんだ。  宮島線に電車が入ってスピードが増す中で車掌台の背凭れから頭を離して、そこに立つ人物を確認した。さっきと変わらない背中を認めると、なぜかとてもうれしい気持ちになった。電車の中は数人しか乗客がいなくて、案の定、途中から乗客は俺一人になってしまった。 「ギプスはいつ外れるんだい?」  村瀬さんが車掌台から少し体をこちらに向けて、話しかけてきた。 「月曜日に病院に行って、外してもらいます」 「そうか。でも、学校には行っているんだね」 「試験期間だったから……」 「ははっ。それじゃあ、休めないな」 (笑ってくれた――) 「あの、あのときは助けてくれて、ありがとうございました」  また、村瀬さんが小さく笑い声をあげた。 「あの程度の段差でそんなに大きな怪我になるなんて、正直驚いたよ」  彼の声は本当に心地好い音だ。電車の騒がしい走行音の中でもはっきりと耳に届く。 「次だね」  村瀬さんに言われるまで自分の家に近い電停に近づいていることにも気づかないほど、彼との話に夢中になっていた。村瀬さんが俺の降りる駅名をアナウンスする。  何だか、降りたくないな……。
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