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村瀬さんは俺の手を引いたまま、ずんずんと橋を降っていく。もう小言は無くなってきたけれど、時折、吐き出された村瀬さんの息が橋を照らす外灯に薄らと浮かんでは消えて、余計に寒さを感じさせた。
橋の袂まで降りきると、村瀬さんは掴んでいた俺の手を離した。そして両手をブルゾンのポケットに入れて、こちらに振り返った。
「……なあ、カズト。もしかして、家に誰もおらんけえ、こんなに遅くまでフラフラしとるんか?」
一瞬、村瀬さんが何を言いたいのか解らなかったけれど、直ぐに、ああ、と理解した。
「あのね、今夜は遊んでいた訳じゃないよ。短期集中ゼミに行っていたんだ。ちょっと、分からないところを質問したりしていたら、終電になっちゃったんだよ」
そうか、と村瀬さんが少し安心した表情をする。でも直ぐにその表情を険しいものに戻して、
「何で、こんな深夜なのに親がおらんのじゃ?」
「だから言ったじゃん。男と、彼氏と会ってるって。前から俺の母親は仕事先の社長と仲良くやってんの。多分、俺が大学に行って家を出たら再婚するんじゃない?」
「カズト。お前、どこの大学を受けるのか決めたんか?」
あ、これを気にされちゃったか。
「……まだ、決めてない」
ちょっと声を小さくして答えた。
「親父さん、まだ連絡してくるんか?」
何だか、さっきからイヤな質問ばかりしてくるなあ、村瀬さん。
東京にいる父親はあの若い女と再婚したけれど、結局長続きはしなかった。女と別れてから、なぜか俺のスマホに連絡をしてきて、
『父さんが全て面倒を見るから、こちらの大学を受けなさい』
全て面倒を見るだって? 金だけ出しておけば、何とでもなると思っているくせに。
もちろん、この話は母親の耳にも入っていて、経済力では足許にも及ばない母親は、カズトの思うようにしなさい、としか言わなかった。
「そろそろ真面目に決めんと、間に合わなくなるぞ」
呆れたような台詞を言った村瀬さんに、ほんの少しだけ、ムッとした。
「ちゃんと考えてるし、大丈夫だし」
でもなあ、と尚も言葉を続ける村瀬さんに、
「じゃあ、村瀬さんが決めてよっ! 村瀬さんが広島にいろって言ってくれれば、ここに残る。東京へ行けって言うなら、そうするよ」
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