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……覚えているも何も、あの怪我の時から一度も会ってないじゃんか。
それに、俺に初対面のニンゲンを覚えろなんて無理な話だよ。そんなこと、母親なら解っているよね?
黙ったままの俺に構うことなく、母親が話を続ける。
「お母さんね、今までカズトに黙っていたけれど、あの社長さんとお付き合いしているの」
……そんなの、とっくに知ってるよ。
「社長さんはね、実はカズトの伯父さんの同級生で……。それでね、実はお母さん、あの人と再婚しようかと思って……。カズトが大学に入ったら籍を入れようかって。それに広島の大学に進学するのなら学費も出してくれるって」
……ほんと、いきなり。
「……もう一つね、実は……。お母さん、お腹に赤ちゃんがいるの……」
……、はあ?
「お母さんもまさか、この歳になって赤ちゃんが出来るとは思わなかったけれど。でもね、社長さんがお母さんの事を心配してくれてね。早く一緒に暮らそうって言ってくれているの」
呆れてモノも言えないから黙っていた。母親は落ち着きなく俺の様子を窺って、
「それで、ええと……。カズトが広島に居るのなら、是非、カズトも一緒に住もうって……」
「いいよ、俺は」
母親の顔を見ずに呟く。えっ? と聞き返す母親に、
「……大学に入ったら一人暮しをしようと思っていたし。いいんじゃない? 優しそうな人だったし、別に俺は再婚には反対しないよ」
カズくん……、と、小さな頃の呼び名を母親が口にした。
「学費も気にしなくていいよ。元々、どこに行っても父さんに頼むつもりだったし。ダメなら奨学金もあるし、俺の事は心配しなくても」
ありがとう、と母親が涙ぐんでいる。でも、その表情は俺には分からない。
――ほんと、なんで親って……。
「もう遅いから休もうよ。母さんも体に気をつけなきゃいけないんだろ」
父親からの封筒を持って席を立つ。そうね、と母親は涙を拭きながら笑顔になった。
母親が、お風呂の準備するね、と席を立って動き始めて、俺は自分の部屋に引っ込んだ。
勉強机の上にバサッと置いた書類の中から、ヒラリと一枚の紙が落ちた。ダッフルコートを脱ぐ前に落ちた紙を拾い上げるとそれは東京行きの航空券だった。
――アイツら、みんな勝手だ。ほんとに……。ムカツクムカツクムカツクッ!
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