君がくれた世界

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 村瀬さん、ひどいよ……。  また、彼の姿がぼやけていく。掴んでいた村瀬さんの手を放して下を向いた。途端にぱたぱたと足元に水滴が落ちて、アスファルトに幾つかの水玉模様が出来た。 「カズト。どうしたんじゃ?」  村瀬さんがおずおずと放した手をまた伸ばしてくる。そして、俺の左の頬を触った。 「……すまん。お前にも……。理由があったんだよな」  頬に当てられた手の親指が、涙を拭うように横にゆっくりと動いた。ぼやけた視界で村瀬さんを見る。少し屈んで視線を合わせてくれる彼の表情は心配そうにこちらを眺めていた。  ほら。涙で世界が歪んでいたって……。  やっぱり、貴方の輪郭は鮮明なんだ……。  頬に当てられた手にそっと触れた。涙を拭うこともせずに、真っ直ぐに彼と向き合って……。直線にお互いの瞳が触れあった瞬間――。 「……村瀬さん、」  唐突にその言葉は俺の喉から転がり落ちた。 「――、好き……」  一瞬の間があって村瀬さんの瞳孔がキュウと縮まる。彼の唇が何かを発しようと小さく動いた。それが分かった途端、村瀬さんの制服の襟を掴んで思いきり自分の顔を彼に近づけた。 「カズ……」  強く目を詰むって、発せられる言葉を呑み込むように自分の唇を押し当てる。 「――、つッ!」  勢いが余って、ガツンと彼の唇にぶつかった。それでも、思ったよりも柔らかくて温かい感触に、ブルッと体が震える。  彼にもっと触れたい衝動で頭が一杯になって、思わず少し口を開けて彼の唇に噛みついた。  村瀬さんが驚いて急に体を後ろに逸らす。おまけに握った右手の甲を口に当てて、距離まで取られてしまった。 「カズトッ! お前!」  顔を赤くして慌てている村瀬さんから、信じられない台詞が出てきた。 「ふざけるのも、ええ加減にせえっ!」  ……ふざけてなんか無い。全部、本当の。俺の世界の本当のことなのに……。  俯いて足元のアスファルトを睨みつける。後ろの防波堤に、ぐっと寄りかかって体重をかけると、思い切り右足で壁面を蹴った。勢いをつけて目の前の村瀬さんの肩を強く弾くと、するりと体を躱した。
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