君がくれた世界

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***  村瀬さんと話すようになったのは去年の夏の初めの頃。だけど俺は、その随分前から彼のことを認識していた。  あれは今からちょうど一年前の冬の終わり――。  長い間、仮面夫婦を演じていた両親の離婚で住んでいた東京から初めて母親の出身地である広島に来たときのこと。  それまで東京から出たことの無かった俺は、母親と降り立った瀬戸内の街に戸惑いつつ、玄関口の広島駅前を歩いていた。なんでも家出同然で上京して以来の故郷の景色をゆっくりと見てみたいと、広島名物の路面電車で実家に行こう、と母親が俺に言ったからだ。  こんなことになるまで自分の母親が地方出身で、なおかつ実家は広島からさらに西の方の日本三景の一つ、安芸の宮島がある廿日市(はつかいち)という街だなんて知りもしなかった。  広島駅から生まれて初めて乗り込んだ三両編成の路面電車は、街の中心部へと続く道路のど真ん中を我が物顔でゆっくりと進んだ。  途中で目に写る街の景色をぼんやりと眺めながら、東京よりもコンパクトな街並みに、とんだド田舎に来てしまったと後悔した。  カズト、あれが平和公園よ、そして原爆ドーム、こっちには昔、野球場があったのよ、と母親はうれしげに俺に話しかけてきたけれど、どの言葉もポロポロと耳から溢れてしまう。  どうして東京に残れなかったんだ。あそこに創った俺の世界はそれなりに愉しいものになりつつあったのに。ここでまた最初から創り直すなんてストレスマックスだよ……。  母親と別れるときに、若い愛人と再婚するからと俺を厄介払いした父親を少し怨んだ。そんなことを思いながら車窓の景色を見ていたら、ふと、俺はある声に気を取られた。  路面電車は小さな電車なのになぜか車掌がいる。車掌は次に電車が停まる駅をアナウンスしたり、乗降口の開閉や安全確認、車内を廻って乗客の用事を聞いたりしている。その中でさっきからマイクを持って次の駅名を伝える車掌の声が妙に耳に残った。  路面電車はのろのろと街中を通り過ぎると、やがて少し大きな駅を経由して今度は電車専用の線路へと入っていった。 「カズト。ここからが宮島線よ。この線路の先の終点が宮島なのよ」
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