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終点の宮島口に着いて電車から降りると、改札前で一旦立ち止まって財布を取り出した。改札のカードリーダーにそれを翳して外に出ると、ありゃ、と後ろから声がかかった。
「何じゃ、ボウズ。カード、持っとったんか?」
あ、このダミ声は坂井さん。改札を挟んで駅の構内にいる坂井さんに向かって振り返る。
坂井さんはあんまり大きな人じゃ無いけれど、とっても暖かい雰囲気のあるオジサンだ。きっと俺に向かって笑いかけてくれているんだろう。
だけど、パーツごとなら解るのに、その笑顔が認識できないのは、ちょっと残念だった。
「坂井さん、村瀬さんは?」
当然のように口をついた言葉に、しまった、と思う。つい、いつものように自然と彼のことを訊ねてしまった。村瀬さんと顔を合わせづらいから、引きこもりを決めていたのに……。
ああ、村瀬なあ、と坂井さんはちょっと沈んだ口振りで、
「今なあ、休んどるよ」
意外な返事にドキリとする。
「休み? いつから?」
「確か、三日くらい前からか。親父さんが倒れたらしくてなあ」
村瀬さんのお父さんが?
「……大丈夫なの?」
うーん、と坂井さんは唸って、
「どうかなあ、ちょっとワシには分からんけれど……」
そうなんだ、と小さく呟く。
「じゃあ、いつ戻って来るかも分からないね」
そう言った俺に、
「もう、戻ってこんかもしれんなあ」
え? 戻ってこない? 村瀬さんが? ここに?
「それは……、どういうこと……?」
自分の声が少し震えているのが分かる。それが、寒くて震えているんじゃないことも。
「村瀬の実家は旅館なんだ。かなりの老舗らしくてなあ。村瀬はそこの跡取り息子なんだ」
そんなこと……。 初めて聴いた……。
「昔から電車の仕事につきたくて、親と喧嘩して何とか地元の鉄道会社での仕事を許してもろうたらしいけど。流石に親父さんがこうなったんじゃあ、村瀬も腹括らんと行けんくなったかもなあ」
それは車掌を辞めるってこと? じゃあ、もう逢えなくなるのか……? 村瀬さんに?
「そうなると、アイツもいよいよ身を固めんといかんなあ。やっぱり女将がおらんと旅館は成り立たんだろ」
それって結婚するってこと? もしかして、この前に見た和服の女性……?
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