君がくれた世界

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 ふうん、と気の無い返事をして、どこの駅で降りるのか聞いてみた。母親が降りる駅名を言うと、路面電車では駅の事を電停(でんてい)って言うのよ、と役に立たないことを俺に教えてくれた。  宮島線に入ると街中をトロトロと走っていたときとは明らかに違って、かなりのスピードを出しながら電車は進んでいった。そして、相変わらずの機械的な女性の声の録音アナウンスのあと、ここでも車掌は次に停まる駅名を案内した。  ――それにしても、この人、本当にいい声してるな。  隣の車輛の出口に目を向けるとアナウンスが終わった車掌が席を外して、こちらに歩いてくるのが見えた。電車は結構横揺れが激しいのに車掌は慣れているのか、不安定な様子も見せずに何かを言いながら車内を歩いている。 「両替、回数券のご購入の方はいらっしゃいませんか?」 「すみません。両替、お願します」  急に隣の母親が車掌を呼び止めた。見ると財布から千円札を出している。呼び止められた車掌は俺たちの前に立って、肩から斜めにかけている小さな黒い鞄をゴソゴソと探り始めた。  ――背の高い人だな。  揺れる車内に少し脚を開いてバランスを取りながら立つ車掌は、母親から千円札を受け取って、代わりに小銭を手渡した。 「ありがとうございました」  ――あ、生はもっといい声なんだ。  深緑色の制服姿をなんとなく足下から上に向かって視線を上げる。途中で車掌の胸元の名札が目に入ったけれど書いてある漢字を素通りして、そのまま視線を上げていった。白いシャツに緑色のストライプ柄のネクタイの襟元が見えて、そして……。  ――えっ?  制服と同じ深い緑色の制帽を被った顔が目に飛び込んで来る。彼は明らかに俺の方を見て制帽のつばに手を添えて小さく会釈をすると、隣の車輛の出口へと軽やかに去っていった。  今のは俺を見て笑っていたんだよな? あれが……、笑顔? 「はい、カズト。降りる電停はまだ先だけれど、持っておきなさい」  母親が先程、彼から受け取った小銭から幾つかを俺に手渡した。俺は黙って小銭を受け取りながら、出口の車掌台に収まった彼の姿を眺めていた。そんな俺の様子に気がついたのか、 「あの車掌さん、格好いい人だったわね」
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