君がくれた世界

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 急き立てられて、破れかぶれで申し訳程度に巻きついている浴衣を脱いだ。ヒヤリとした部屋の空気で皮膚の表面が泡立つ。昨日の服をまた着ながら、じっと俺の着替えを腕を組んで見つめている村瀬さんに、 「ところで今、何時?」 「四時半」 「……四時半っ!?」  思わず耳を疑う。 「朝早く起こすって言っていたけれど、いくらなんでも早すぎるよ!」 「お前の体力を考慮したら、この時間でもギリギリなんじゃ。ほら、顔を洗って」  着替えの済んだ俺に村瀬さんが近づいて、いつの間にか手に持っていた物を手渡された。 「それ、食ったら玄関に来いよ」  村瀬さんが部屋から出ていく。一人残された俺は渡された物を見てポカンとその場に立ち尽くした。  ――なぜ、バナナと水? 全く意味が分かんない……。  洗面を済ませてバナナをもぐもぐしながら旅館の入り口へ行くと、すでに靴を履いてなぜかリュックサックを背負った村瀬さんが誰かと話をしていた。 「あら、小泉くん、おはよう。良く眠れた?」  この声は村瀬さんのお姉さんだ。昨夜とは違って今はセーターにジーンズを着ている。慌ててバナナを飲み込んで、おはようございます、と消えそうな声で言った俺に、「歩きながら食うヤツがあるか」と村瀬さんに怒られてしまった。  ペットボトルの水を飲み干すとお姉さんが空のボトルを引き取ってくれて、 「それじゃ、紅葉谷(もみじだに)から上がる?」 「ああ。その方がルートも緩やかだし大丈夫じゃろ」  最後にトイレに行っておけ、と言われて慌ててトイレに向かう。何となくいやな予感がして、玄関に戻ると村瀬さんの格好を改めて確認した。  ――完全に、山登りスタイルだ……。  ゴツいトレッキングシューズにチェックのシャツ、ダウンのベストを着た山男モドキは、「ほら、カズト。行くぞ」とニヤリと俺に笑いかけた。  はあ、はあ、はあ……。 (ほんとに――)   はあ、はあ、はあ……。 (意味が――)  はあ、はあ、はあ、はあ……。 「分かんないんですけどっ!」 「だから無駄口叩かんと、チャッチャと歩け」  何がどうなったら、起きたことも無い時間に叩き起こされて、すんごい寒い中を暗い山に入って、足場の悪いぬかるんだ山道を転びながら歩かなきゃなんないわけ!?
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