君がくれた世界

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 彼の広い背中に手を廻して自分の力の出せる限りに強くしがみつく。ただ、ひたすらに村瀬さんに体を押しつける俺を、彼は優しく包んでくれた。  大きな手で頭を何度も撫でられて、頬擦りをされて、ふと小さな頃、父親にこうやって抱きしめられたことを思い出した。  それは短い時間だったかも知れない。けれど、俺にとってはとても長い時間だった。やっと自分が落ち着いてきて、村瀬さんの言葉をもう一度思い返してみる。  ここにいろ、って言ってくれた。俺のことを好きだって……。俺が一番欲しかった言葉を、この人は言ってくれた。  ……。待てよ? と言うことは……。 「村瀬さん」  彼の胸に顔を押し当てたままで問いかける。ん? と、聞き返してきた村瀬さんに、 「ものすごくうれしいけれど……。俺、男だから旅館の女将にはなれないよ」  頭を撫でていた手がピタリと止まる。しばらくすると、その手が細かく震えて同時に村瀬さんの体もふるふると動き始めた。  村瀬さんは、しがみついていた俺を引き剥がすと両肩に手を添えたまま俯いて、やがて、大きく顔を上げると、  あははははっ――!  これ以上は無いくらいに快活に笑い声を響かせた。村瀬さんの大きな笑い声が宮島の山頂でこだまする。その声にびっくりして、その場に固まってしまった。 「カズトッ!」  大きく名前を呼ばれて思わず、ハイッ! と返事をする。 「お前は、なんちゅう可愛いことを言うんじゃ!」  えっ、可愛い?  笑われていることについていけない俺を、村瀬さんがまた、ぎゅっと抱きしめて、 「お前、俺が二度と帰らんかもと不安で船に飛び乗ったんだな!」  図星を指されて頬が熱くなるのが分かった。抱きしめられた肩越しから、雲の晴れた青い空に耀く太陽を見る。 「カズト、ぶち可愛いな」  ぶち?  笑った村瀬さんが、息を整えて体を離すと、 「俺が嫁でも貰うて跡を継ぐとか思うたんじゃろ? 馬鹿じゃな。俺は家業は継がんよ」  全て見透かされていることが恥ずかしくて村瀬さんの顔を見ることができない。視線を外したまま曖昧に頷いた俺の頬を、村瀬さんの温かい手のひらがやんわりと包み込んだ。 「……でも、前に女の人と挨拶がどうこう、って……」
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