君がくれた世界

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 温かい柔らかな感触は小さく触れては離れて、少しずつ唇を啄まれる。  ああ、あの時とは違う、何て幸せで何て切なくて……。何て、甘やかなキス……。  気がつけば自分から彼の唇を追いかけていた。閉じた瞼の裏側が潤んで、目尻からすぅ、と涙が溢れ落ちた。  ちゅ。  小さな水音を立てて離れた村瀬さんが、溢れた涙を頬に当てた手で優しく拭ってくれた。  ゆっくりと瞳を開けると、濡れた睫に揺らめきながらも彼の笑顔がはっきりと写された。涙を拭った親指で下唇をふっくらと撫でられながら、 「カズトは頭はいいのに経験が足らんからな。なんでもかんでも初めてじゃし」 「……でも、キスは二回目だよ……」  二回目? と訝しげに言って直ぐに、ああ、と思い出した村瀬さんが、 「この前のか。あんなん、キスとは言わん。あれは頭突きじゃ。今のがお前のファーストキス。憶えておけよ」  うん。一生憶えておく。最後じゃ無くて最初のキスが、あなたの煙草の香りだったこと。  村瀬さんはよほど気に入ったのか、俺の下唇や頬をむにゅむにゅと触りながら、 「俺の世界で生きていくには、他にも教えにゃいけんことが沢山あるな」  うーん、と面白そうに唸る村瀬さんに、 「なんでも……。村瀬さんが経験していることは全部知りたい」  例えば? と聞かれて少し考える。そして、 「山登りはもういいや」  ははっ、と笑われる。 「……お好み焼きのきれいな食べ方、とか」  プッ、と噴き出されてまた、可愛いな、と抱きしめられた。 「だけど……、本当は」  抱きしめられた肩越しの彼の耳元で言葉を奏でた。 「キスのもっと先を、……教えて」  自分が発した言葉にじわりと体が熱くなる。ぴくんと村瀬さんが一つ動くと、さらに、ぎゅうと力強く抱かれた。  ――苦しい。でも、なんて気持ちのいい苦しさ。  ふっ、と拘束されていた力が抜けると、そのまま村瀬さんは俺の耳に熱い吐息をかけた。そして、首筋に軽く唇を触れられると、時折、冷たい鼻が首に当たってゾクリとした。 「カズト……」  蕩けるような声で名前を呼ばれる。 「それは、また今度……。一晩かけて、ゆっくりと教えてやる……」
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