君がくれた世界

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 卒業式の翌日から、大して荷物の無い自分の部屋を片づけた。母親も俺が家を出るのと同時に、あのオジサンの家で新婚生活を始めることになっている。  一度、再婚相手のそのオジサンと食事をする機会があった。父親とは違う、素朴な雰囲気のその人は、二人の結婚に際して俺に謝るのと同時に、お母さんは幸せにするから、と何度も言った。  母親からも、今までに感じたことの無いような柔らかな雰囲気が醸し出されていて、これが彼女の本質だったんだ、と分かったような気がした。  部屋の片づけが終わると、当面の着替えを大きめのカバンに詰め込んで、俺は家を出た。行き先は、そう、宮島線の終点、宮島口駅だ。  もうすぐ終電がやってくる。きっと、この電車には彼が乗務しているはずだ。  誰もいない寂れた電停で電車を待つ。近くの漁港から吹く風は潮の香りが一層強い。でも、その風は幾分か冷たさが和らいでいて、確実に春が近くなっていることが感じられた。  ピュウピュウ、と電車が近づく案内音が響いて、やがて暗い線路の先からヘッドライトを明るく灯した最終電車がやって来た。  近づく電車の後ろに視線を凝らすと、窓から上体を覗かせた制帽姿の人物が確認できて、思わずニンマリと笑った。目の前に停まった電車の扉が開くと誰も降りる人はいなくて、よっ、と乗り込んだ車内は、彼と俺だけの空間になっていた。 「カズト。お前、どうしたんじゃ?」  まだ乗務中なのに広島弁になっているよ。村瀬さん。  どの席も空いているのに、わざと彼の立つ車掌台の後ろの席へ腰かけた。電車が走り出すと、背中の俺に振り向いて、 「凄い荷物じゃな? どこかに行くんか?」 「なに言ってんの? 村瀬さん。一緒に暮らそうって言うから来たんじゃない」  ええっ、と村瀬さんが驚きの声を上げる。するとすぐに次の電停が近くなって、俺以外、誰もいないのに律儀に車内アナウンスを始めた。その真面目なさまに、プッと吹き出した。 「一緒に暮らすって……」  電車の扉を閉めた村瀬さんが、また話を続ける。 「そうだよ。誘ってくれたじゃん。まさか、あれは冗談だった?」  いや、冗談じゃあ無いけど、と小さく言う村瀬さんに、 「今回はお試し期間だよ。だって、好き合っていてもいろいろと相性が合わないと長続きしないでしょ?」
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