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(なんだというのだ、これは)
全く意味が分からない。
雪乃と言葉を交わせるだけで、何をここまで緊張する必要があるだろう。
雪乃が紫翳を気にかけてくれているという、ただそれだけのことが、……嬉しくてたまらない。
(浮かれておる場合ではないのだぞ。猫目石のことも、紅殼とやらのことも、晟雅の許に現れた輩のことも、ここからが正念場なのだ)
いつの間にか隠形している皇毅にも、浮わついた心が筒抜けになっているかと思うと、ますます情けなくなる。
しっかりしろ、と、なぜか気合いを入れて料理を口に運ぶ。
口の中いっぱいに広がる優しい味わいと、絶妙に引き出された自然の滋味に、揺れる動く心が鎮まっていく。
作っている者が異なるのだから、当然と言えば当然のことかもしれないが、猫目石の食事とは、全く味が違う。
猫目石の料理は紫翳の好みにぴったり合い、量もちょうど良い。
雪乃の料理は、彼女が長らく過ごしていたという田舎で育まれたのか、都では味わうことのない、些か尖った味がするのだが、あとから香ってくる食材本来の旨味が、より一層引き立てられるから不思議だ。
ほどよく焼かれた鶏肉を飲み込んでから、羹物{あつもの}の器に手を伸ばすと、雪乃が控えめに手を挙げた。
「冬霞様。そちらの羹物ですが、ぜひ醤{ひしお}で味を調{ととの}えてみてくださいませ」
「醤ですか」
予想外の発言に驚いて、思わず手元の四種器に目をやる。
食事といえば、塩、酢、酒、そして醤の4種を用いて好みの味付けにしながら食べるものだが、羹物に醤を混ぜたことはない。
「やってみろ、紫翳。俺もこの間、半信半疑で試してみたが、これが結構旨いのだ」
「……ふむ」
箸でそっと醤を摘まみ、羹物の器に溶かしてみる。
それから口に含むと、驚いたことに、醤の独特の臭みが消えてなくなり、それどころか豊かな風味が舌を包んでくる。
「確かに、これは旨いな」
思わず唸ると、晟雅は満足そうに笑って雪乃の肩に手を置いた。
「雪乃の舌に、間違いはないぞ」
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