見えなくなった現在

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眼鏡職人になった私は、お父さんと更地にやってきた。 変わり果てた、お父さんの店の跡地だ。 父は白杖と私の手を支えに突っ立っている。 数年前、お父さんは緑内障で失明した。 目が見えなくなり、今も状況は変わっていない。 私は修復した眼鏡をかける。 父は驚きながらも、待っていた。私がかけるのを心待ちにしている。 耳をピクピクさせていて、愛しいと思った。 ゆっくりと、私は彼に眼鏡をかけた。 「ああ……。この感触だ……かんだ跡のでこぼこもある。懐かしい。……でも、見えないな」 父は、くすんだ琥珀のフレームを触って言った。フレームは優しくなぞられる。 あの頃と同じように笑みを浮かべる。 和む。 でも、真新しいレンズは老けた父と釣り合わない。 「お父さん」いつの間にか、私は涙ぐんでいた。眼鏡をつけてもよく視えない。 「でも……なあ、見えるか。優子(ゆうこ)には見えるのか」 「……うん、見えるよ。お父さん」 私はうなづく。かける前に、何度も確認した。 眼鏡を修復する間、数え切れないほどチェックした。 度の強い父の眼鏡は、レンズを通してはっきりと風景を写し取っていく。 でも、本当に見て欲しかった相手には見えないのだ。 「そうかあ……あっ!」と、目を細めて父はなにもない更地をにらみつけた。 「見える……店が見える!俺達の店、橘眼鏡店(たちばながんきょうてん)だぞ、優子! 白々しいまでの蛍光灯に、店のショーケースがきらりと光ってる。 そうだ……中の眼鏡のレンズが反射して、眼鏡が曇ってるように見えるんだ。 ボーンボーンと柱時計の音も聞こえる。土臭い匂いがしない……当たり前だ。 お客様に気持ちよく買っていただく為に、いつも念入りに清掃したんだからな。優子、俺達の家だぞ」 父と私はゆっくりと、ぺんぺん草の生えない、黄昏(たそがれ)た土地に足を踏み入れる。 私は泣きながら言った。 「私にも見えたよ、お父さん。……私達の家が」 そうだ。 セピア色のレンズで見れば……心の中で鮮やかに見える。
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