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「よろしくね、山田さん」
それは、在野さんの失踪によって同居人を失った私が「やほーい、やほーい」と本能のリミッターを解除して、ふかふかのベッドの上で喜びの舞を披露していた最中の出来事でした。
唐突に名前を呼ばれた私は「はて?」と首を傾げながらドアのほうを窺おうとして、ベッドから落っこちました。
親友の石沢さんは例によって反省部屋にぶち込まれてしまっているため、私の部屋に来客があるとはまるで想定していなかったのです。
完全に油断していました。間抜けな姿を晒してしまいました。
「大丈夫?」
そんな風に、尻餅をついた私の顔を覗き込んできたのは、芹沢先輩でした。
芹沢先輩は、転校初日に校舎の案内をして下さった先輩で、漆黒の長髪が特徴的な美人さんです。
しかも美人な上に優しくて、芹沢先輩は廊下ですれ違うたびに、花のような微笑を向けてくれて、私はそのたびに「ふへっ、ふひひ」と卑しいメス豚のような挨拶と共に会釈をして、小走りで逃走していたのですけども、今は自室ということもあって逃げ場がありません。
心情的には、崖に追い込まれた犯人と同じです。
目を瞑ると、迫るような波の響きと、船越英一郎の声さえ聞こえてくる気がします。
「……よろしく?」
私は、数秒前の芹沢先輩のセリフを反復しました。何がよろしくなのでしょうか。
私は再び小首を傾げて、そして芹沢先輩の足許にキャリーバックを発見しました。黒くてごつごつとした武骨なデザインです。
人ひとりなら余裕で入りそうなその中には、いったい何が……? まさか在野さん……?
「今日から、わたしが山田さんのルームメイトだから」
「えええええええええ!?」
断末魔にも等しい私の叫び声は、反省部屋の石沢さんの許にも届いたことでしょう。
隣の部屋からは、本来の意味のほうの壁ドンが。
「ななななな、なんで」
動揺します。まさしく追い詰められた犯人が如し、です。
うっかりぼろを出して、自供してしまいそうになりますが、生憎と人を殺した経験はなかったので事なきを得ました。
「規則だから」
「でも、それにしたって、早くないですか。在野さんがいなくなってからまだ三日ですよね」
「でも、規則だから」
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