1 一九一三年七月

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 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は眼前の海を眺めながら、今年も愉しいものになるであろう北欧旅行について想いを馳せていた。宮殿での息が詰まるような日々からしばらくは解放されるのだと思うと、皇帝の心は幼子に返ったように沸き立つようだった。今日の天気は彼の心を映し出すかのように快晴で、近づいてくる緑の山々は美しい。  到着したら、何処に行こうか? ヴィルヘルムの頭の中は期待に満ちていた。今年は彼が即位して二十五年という節目の年である。親愛なるフィヨルドの住民たちは、例年以上に素晴らしい歓迎をしてくれることだろう。彼自身も自分がいかに古代スカンディナヴィアの伝説と北欧の風土を愛し、ドイツとノルウェーの友好を望んでいるかを示すための贈り物を用意したのだ。それはノルウェーの伝説のヴァイキング、勇士フリッチョフの、台座と合わせて全長二十二、五メートルにも及ぶ巨大な像である。  彼の武勇を語る一大叙事詩『フリッチョフ・サガ』を話題にする時、ヴィルヘルムの心の片隅にはいつでもこの詩を教えてくれたオイレンブルク伯爵の姿が思い浮かぶ。最早会うことは叶わないが、銅像を建てたり豪勢な祝賀会を開いたりしているヴィルヘルムの姿が人伝に彼の城まで届けば、あの楽しかった日々を自分は今でも懐かしんでいるのだと伝わるかもしれない。オイレンブルクのことになると時に夢想的なほどに純真で愛情深い彼はそう考えて、ほんの少し寂しくなった。
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