1 一九一三年七月

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(何のために、か……)  ふと二か月前の出来事が彼の頭によぎった。五月にホーコン七世は一度憲法の改正を巡って内閣と衝突せざるを得なくなった。この時の改憲案には国王による首相の任命権の廃止や、国王の名の下に国会の召集及び解散を行うという儀礼の廃止等、国王の権利を制限する事項がいくらか含まれていたが、特に彼が危惧したのはノルウェー唯一の騎士団勲章である聖オーラヴ勲章の廃止案だった。  内閣が勲章の廃止を検討していると聞いたときホーコンは衝撃と共に寂しさを感じた。自分でも少し驚くほど、いつの間にか国王の務めとしての式典に意欲が芽生えていたのだ。また感情の動揺に加え国際社会における不利益への懸念があった。  閣僚たちの価値観では、肩書ばかりで実益の無いものは不要な贅沢品に見えるのかもしれない。それはノルウェー国内においては間違った感覚とも言い切れないが、他国の関係においてはあまりに反階級社会的過ぎる選択ではないか。王侯貴族にとっては栄誉の象徴であり承認の証である勲章を廃止すれば、ヨーロッパの諸国の君主たちからノルウェーは非常識な国と見做されることもありうる。また、他の条項に関する改正案もこの国の政治に実質的な影響を及ぼすことはないが、ともすればホーコン七世に対する侮辱とも取れるものだった。 動揺した国王はクヌートセン首相と何度も話し合ったが、首相が彼の意見を理解することは無かった。そもそも、現政権を担っている閣僚は、独立運動の当初から共和制を支持していた政治家たちである。自分は政党派閥や階級を越えたノルウェーの統合の象徴となるべく務めてきたが、彼らの目から見ればやはり初代首相ミケルセンの内閣が擁立した国王に過ぎないのだろうか。ホーコンはそう思い悩んでいた。あまりに聴く耳を持とうとしないならば、いっその事退位した方がよいのだろうかとさえ考えた日もあった。  挨拶を終えたホーコンは、国民の喝采を浴びながらも浮かない気持ちで持ち場に戻った。それでも人々が喜んでいるならば、この仕事に意味はあるのだろう。そう思いながら彼が気を紛らわせようと見上げた先にあった伝説の英雄の銅像は、征服者であるかのように威圧的な表情に見えた。
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