第四章 闇の戦い

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第四章 闇の戦い

 志貴はナンバープレートが外された中型の日本製バイクに乗って、薄暗い夜の街を突っ切った。志貴はバイクを飛ばしている間、心の中で自分自身と対話していた。恐らく、沙代は死んでるだろう。全て俺のせいだ。せめて亡骸だけでも持ち帰らないと。沙代が浮かばれない。感傷に浸りながらも、あくまで冷静に。高速を使うのは避けて、ジグザグに走り回って30分ほどで目的地に着いた。  貸倉庫が並ぶ辺りは、白の外装の研究所らしい複数の建物に囲まれている。バイクから降りると、黒い手袋を両手にはめた。ナイフをハンカチで拭い、袖元に仕舞い込む。ゆっくり歩いて見て回り、一番奥に目的の倉庫を発見する。  倉庫のシャッターの両脇に、短髪の黒スーツを着た男たち2人が立っていた。貸倉庫はやたらと大きい。2人ともアジア系で強面な感じから、恐らくアタリだろう。  志貴は別の貸倉庫の影から姿を見せて、両方の袖からナイフをさっと取り出す。男たちは銃を構えるが、志貴は素早くナイフを2本投げつけ、男たちの喉に突き刺さる。  男たちは苦しみながら、絶命する。見張りの男たちを殺してシャッターを叩くと、ゆっくりと開いていった。隙間から光が漏れくるのが確認できる。志貴は銃を取り出した。シャッターが途中まで開いた頃には、中にいる中国マフィアの顔が目の前に見えた。志貴は顔が見えた途端、ためらわず銃弾を放った。  敵が10人近く、車が2台止まっているのが目に入った。黒スーツを着た男たちが銃を向け、志貴に襲いかかる。しかし銃を向けた途端、志貴に頭、喉、胸を的確に撃ち抜かれる。  車や資材置き場などに隠れながら志貴を狙うのだが、少しでも銃を撃つために姿を見せれば、あっという間に志貴にやられてしまう。そうやって、1分も経たない内に5人も死体となってしまった。  この状況に黒スーツの男たちの内の1人が、後部座席から人質らしい人物に銃を突きつけ出てきた。そこには、手首を紐で締められている沙代の姿があった。  沙代に銃を突きつけているスキンヘッドの男が、志貴を脅すように大きな声を出した。 「おいっ!銃を床に捨てろ!さもないと人質を殺すぞ!」  しかし、志貴は銃を撃つことをやめない。また1人、また1人、志貴の放つ銃弾に倒れる。 「おいっ!殺すぞ!本当に殺すぞ!」  志貴の目には沙代の姿が入らなかった。殺し屋修羅としての感覚が完全に戻った今、自分に銃口を向ける敵の姿しか映らない。また1人殺し、また1人殺して、ついに沙代に銃を突きつけている男だけになってしまった。  志貴はゆっくりと近づき、男に銃口を向ける。そんな志貴に、沙代は小さな声を出す。 「やめて……」  沙代は今にも泣き出しそうな、悲しい顔をしていた。 「お願いだから、もうやめて……」  しかし、沙代の悲痛な声は届かない。志貴はそばまで来ると、男の額に銃を突きつけた。男の目の前には、どす黒い妖気を放った阿修羅が立っていた。  志貴はゆっくりと引き金に触れている指先に力を入れる。 「やめて……」  今にも男を殺そうとする瞬間、沙代は涙を浮かべながら、志貴と初めて出会った頃のことが蘇ってきた。  沙代が初めて志貴と出会ったのは、実は高校生の頃だ。志貴はこのことを全く覚えていない。あれは高2の秋、沙代が同級生の女子からいじめにあった後のことだった。沙代は質素だったが、男子からそれなりの人気があった。告白されることも時々あって、その度に断っていた。この中には同じクラスの女子たちから人気のあった男子もいて、このことが原因でいじめの対象となった。  放課後同じクラスの女子数人に校舎裏へ呼び出され、掃除の時使った汚れた水の入ったバケツを2階の窓から自分のいる真下へと落とされた。沙代はバケツを頭から被り、セーラー服がずぶ濡れになる。髪を染めている同級生たちはクスクス笑って、みんなで今からカラオケでもいくようなノリでそのまま帰っていった。  この日は土曜日で、午前中だけ授業だった。沙代は涙を目に浮かべながら、夕方までグラウンドのそばのベンチで顔を下に向けながら座っていた。  夕方になり暗くなってきた頃、沙代に話しかける声が聞こえてきた。顔を上げると、青いジャージを着た男子が話しかけてきた。ここの体操服は臙脂色(えんじいろ)のジャージだったため、ここの生徒でないことは確かだった。そう言えば、サッカー部が他校と練習試合をするって話を、廊下ですれ違った他の生徒たちが話していたことを、沙代は思い出した。  背が高くサラサラな黒い髪、そしてきれいな顔。女子が羨ましがるような美貌を持った男の子が、何やら心配そうな表情で話しかけてきた。 「大丈夫?あっ、いきなり話しかけてゴメン。何だか暗い顔してたから。あの良かったら、これ使う?」  男の子はズボンのポケットから、ハンカチを取り出す。沙代に渡すと、沙代はハンカチで顔を拭いた。そして、何とか笑顔を作ってみせた。 「大丈夫そうだね。良かった。って、タメ口使っちゃってるけど、2年だよね?鞄の隙間から数Ⅱの教科書がちらっと見えたからさ。俺も2年なんだよ」  男の子の親切に沙代は救われた。そして、本当の笑顔を見せた。すると、校舎の渡り廊下の方から男の子を呼ぶ声が聞こえてきた。 「おいっ、志貴!こんなところで何やってんだ?」  2人は振り返ると、渡り廊下に眼鏡をかけた紺のブレザー姿の男子がいた。沙代は話したことが今まで一度もなかったが、その男子が中学の同級生の義和だということを知っていた。男の子は大きな声で、義和に応える。 「サッカー部の加藤が、この前捻挫になっただろう。それで練習試合のメンバーが足りないってんで、俺が助っ人ということで来たんだ。義和こそ何でここにいるんだ?」 「他校との生徒会合同会議といったところさ。昼過ぎから今まで会議室にいたんだ。もう終わったんだろ?一緒に帰ろうぜ!」  男の子は走って義和の下へと向かう。沙代は後ろから呼び止める。 「あの、ハンカチ!」 「あぁ、いいよそれ。あげる。それじゃ、達者でね」  男の子はそう言い残すと、義和の下へと走っていった。2人とも仲良さそうに話している様子が目に入った。志貴君って名前なのか。沙代はこの瞬間、志貴に恋をした。  それから7年後、沙代は偶然街中で志貴が今の事務所に入っていくのを見かけた。7年前と全く変わらない、きれいな優しい顔。そのすぐ後、近くの電柱に貼られた事務員募集の貼り紙が目に止まるのだ。沙代はこの時働いてた会社を辞める明確な理由ができて、志貴の事務所へと足を運ぶのだ。そう、初恋の男の下へと。  その沙代にとっての憧れの人が、目の前で自分を人質に取ってる男を殺そうとしている。恋に落ちた頃の優しい顔ではなくて、殺すことを一瞬でもためらわないような冷たい表情で。  男は怯え肩がガタガタ震えていた。額から汗が吹き出て、ダラダラ流れ落ちていた。志貴は鋭い眼光を向けながら、確実に殺そうと男の額に銃口を突きつけた。今にも撃とうとしたその瞬間、沙代は涙を流しながら叫んだ。 「お願い。もうやめて!わたしの知ってるいつもの優しい志貴君へと戻って!お願いだから……」  沙代の涙が床に落ちた瞬間、志貴は我に返った。沙代の泣いている顔を見て、心の奥底でずっと封印していたある思い出の断片、まだ沙代という名前さえ知らなかった、初めて出会ったあの頃のことが頭の中で蘇った。  志貴は額に押し付けていた銃を男から離すと、男は失禁しながら気絶した。志貴は一緒に倒れた沙代へと近づき、しゃがみこんで声をかけた。 「沙代ちゃん、怪我はない?大丈夫?大丈夫!?」  沙代は志貴が普段通りに戻ったのが分かると、涙を流して喜んだ。 「良かった。本当に良かった……」  志貴は手首の紐を外すと、沙代を立ち上がらせた。沙代の両肩に手を置き、ホッとした口調になった。 「沙代ちゃん、怪我は無いようだね。危険なことに巻き込んでしまって、本当にすまない。全て俺の責任だ。恨んでくれて構わない」  沙代は首を横に振って、優しく微笑んだ。志貴は真剣な顔のまま、先を続ける。 「沙代ちゃん、今からすぐ警察のところに行ってくるんだ。事情、いや今まで起こった全ての事実を話して、そして保護してもらえ。俺はこの件のかたをつけるために、一緒には行けない。1人で行くんだ」  沙代は志貴の言葉を聞いて、志貴が自分の下を離れていく気がした。沙代は首を横に振った。 「沙代ちゃん……」  志貴は困った顔をするが、それでも沙代は首を横に振る。 「ヤダ。だって、志貴君死ぬ気なんでしょ?顔を見れば分かるもの、そんなこと絶対イヤ!」 「沙代ちゃん、俺は沙代ちゃんが知るずっと前から、この手を血で汚してきたんだ。俺が生きていれば、また誰かを不幸にする。楊さんは殺された。俺と関わったせいで。だから、もう消えたいんだ」  暗く自分自身を嘲笑うかのような志貴の顔に、沙代は平手打ちをした。志貴は驚いたように、沙代を見つめる。 「ふざけたことを言わないで!命を何だと思ってるの?それに人を不幸にする原因を作ったのなら、その罪から逃げないで、最後の最後までその罪と向き合ってそれを背負いながら生きていくのが人として正しい在り方なんじゃないの?今までだって、自分の罪と向き合って償う道を考えながら、生きてきたんでしょ?便利屋として、この街の人のために働いているのもそうよね?だって、あんな格安で普通依頼を引き受けないもの。だから、生活費もぎりぎり。でもね、そんな志貴君のことが好きなの。志貴君の罪の重さをわたしは知らない。でもね、支えにはなるつもり。志貴君の罪はわたしも一緒に背負うから。だから、消えたいなんて言わないで」 「ありがとう。ありがとう……」  志貴は涙を流すと、沙代を抱きしめた。そして、沙代の瞳を見つめる。 「分かった。じゃあ、信頼できるところへと行こう。四番街の外れにある月光って娼館を経営してる弥生って婆さんがいるんだけど、彼女に保護してもらおう。この婆さんの裏の顔は情報屋で、この場所を教えてくれたのも彼女なんだ」  沙代が頷くと志貴は笑顔になった。しかし突然、ブンブン蝿の飛び回るような音が聞こえてきた。志貴は周囲を警戒すると、スズメバチをもう少し大きくした黒い蜂型のドローン5体に囲まれたのに、気がつく。5体が2人に向かって勢い良く向かってくると、志貴は銃を構えた。  志貴は前に走って敵を迎え撃つ。右にいる2体、左にいる2体を撃ち落とす。銃弾が当たった瞬間、ドローンが小さな爆発をする。接触時に爆発するように、設計されているのだろう。しかし1体撃ち漏らして、残りの1体が後ろにいる沙代へと迫る。志貴は胡蝶との戦闘で拾っておいた短刀を袖から取り出して、後ろに投げつけた。  沙代は志貴の下へと走る。ドローンが沙代に迫ろうと、人工の羽を羽ばたかせる。だが幸運なことに、志貴の放った短刀の方が速かった。ドローンは短刀と一緒に気絶しているスキンヘッドの男の頭へと向かっていき、爆発した。  沙代は志貴の胸元へと飛び込み、抱きついた。志貴は優しく沙代の背中を擦りながら、ホッとした。  しかしシャッターの方から、足音が近づいてくるのが聞こえた。志貴は振り返ると、黒の戦闘服を着たスキンヘッドのロシア系男性が近づいてきた。2mを超える身体で、志貴たちの前に立ちはだかる。  志貴は弾を補充すると銃を向けた。その瞬間、男はこちらに走ってきた。志貴は足を狙って撃った。見事命中し、男が止まるかと思った。しかし男は止まらず、志貴の顔を思いっきり殴った。  志貴は後ろに倒れ大の字になる。その後、起き上がって膝をついた。志貴は顔を上げ男を見る。右太ももを撃ち抜いたはずだが、ズボンに穴が空いただけで、血が流れている様子がない。そして、先程のパンチの威力。今目の前にいるのは、開発途中である軍用アンドロイドだ。志貴はそのことが分かって、手持ちの武器であれを倒せそうなものがないか、頭の中で考える。  拳銃2丁、短刀1本、弾が残り少ない。他は持ち前の腕っ節だけ。どれも勝てる要素が見当たらない。しかし、志貴は立ち上がってファイティングポーズを取る。  アンドロイドが一気に志貴の間合いに入り、横腹にボディーブローを入れる。志貴は口から血を流し、床に崩れ落ちる。  沙代は心配そうな表情で、志貴に駆け寄る。志貴の眼の前で両腕を横に広げ、志貴をかばうような体勢を見せた。  もう本当にここまでなのか?志貴は自分の非力さに激怒しながらも、絶望的な状況に諦めかけていた。しかし、どこからか人の声が聞こえてきた。 「志貴ちゃん。沙代ちゃんを連れて、すぐ男のそばから離れて!」  志貴は急いで立ち上がり沙代の腕を掴むと、アンドロイドから急いで離れる。アンドロイドがいる方向へ小型のロケット弾が飛んできて、辺り一帯が爆発する。  志貴はシャッターの方へと目を向ける。坊主頭で屈強な男たちが5人、こちらへと向かってくる。全員自衛官が着用する迷彩服を着ている。ちょうど真ん中にいる男が手を振って、志貴たちに声をかける。 「2人とも大丈夫?助けに来たわよ!」  志貴たちには聞き覚えのある声だった。そう、ゲイ・バーの店主のスミレだ。スミレはいつもと違って男らしく、右肩にバズーカを担ぎ、志貴のそばまで来た。 「スミレさん。どうしてここに?」 「弥生って婆さんに頼まれたのよ。志貴ちゃんが無茶して取り返しのつかなくなる前に、加勢しに行ってくれってね」 「そうなんですか。ありがとう……本当に助かった。でも、どうしてスミレさんに?」 「わたしとあの婆さんは昔からの知り合い。警察があまり頼りないってんで、時々治安が悪くなった頃に、ウチの店から自警団のメンバーを募ってね。婆さんの店の方も同じことをやってたから、その縁でね。って、そんなことより、あんたに伝えなきゃならないことがあるのよ!」 「何です?」 「二番街のチャイナタウン付近で、あんたが探してる愛玲によく似た女の目撃情報があるのよ。それと今は街が大変な事になっててね。中国系マフィアのアジトが次々と襲われて、街が火の海といった状態よ。行くなら早く行ったほうが良いわ」  志貴が頷くとスミレも頷いた。しかしロケット弾で破壊したと思われたアンドロイドが、煙の中姿を現す。右腕が無くなっていたが、それでも脅威に変わりはない。志貴は銃を構えるが、スミレが志貴の前に出てこう言った。 「こいつのことはわたしたちに任せて。あなたは早く二番街へ行って」  志貴は頷くと沙代の手を握って、倉庫を出た。暗い倉庫街の中、先程のダメージを忘れたかのように、バイクが置いてあるところまで走った。  志貴は弥生に、倉庫での1件についての礼と沙代を保護してもらう内容の電話を入れた。弥生が電話に出て、二番街と四番街の境にあるインター付近で降ろすよう指示された。そこからなら近くにある大きな通りを真っ直ぐ行けば、目的地へとそうかからないとのことだった。それともう1つ、胡蝶を取り逃がしたとのことだった。志貴は電話を切って急いで指定の場所へと向かった。  大きな通りをバイクで必死に駆け抜ける。通りはとても静かで、志貴と沙代以外誰の姿も見当たらない。遠くからサイレンの音が微かに聞こえる程度だ。志貴はこのまま無事に沙代を目的地まで送り届けられればと思っていたが、突然後ろから車の音が聞こえてきた。志貴は一度止まって後ろを振り返った。  パトカーが音を鳴らしてこちらに近づいて来る。「そこの2人止まりなさい!」との声もあったので、志貴は逃げようと一瞬考えたが、考えているその一瞬にパトカーが横に詰めて来た。 「君たちこんな夜中に何してるの?」  パトカーから男性警官2人が降りて来た。志貴は面倒なことになってしまい、どう対応すれば良いか分からず額から汗を流していた。  しかし、後ろから車の音が聞こえて来て、警官の1人がそちらに向かった。普通の黒のセダンであったため、警官の1人がその車を静止させようと声をかけたその瞬間、突然銃声の音が鳴り響いた。警官の1人が頭を撃ち抜かれ地面に倒れた。もう1人の警官も銃を構えたが、直ぐ様腹部を2発撃たれて地面に倒れ込んだ。 「沙代ちゃん、バイク運転出来る?」 「えっ?」 「俺が後ろに乗って奴らと応戦するからさ」  沙代はこの危険な状況の中、突然バイクが運転出来るか訊かれ困った顔をする。 「運転出来るの?出来ないの?早くして!」  志貴の焦った表情に、沙代は急いでバイクを降りて前の座席に跨った。志貴も急いで後ろに乗ると、沙代は猛スピードでバイクを発進させた。  沙代は限界までスピードを出していたが、黒のセダンが直ぐに追い付いて来る。車のサイドガラスの窓が開くと、黒スーツを着た男が発砲して来た。後ろから銃声が聞こえることに動揺して、ジグザグに進んだせいでバイクの走行が不安定になっていた。 「後ろは何とかするから、真っ直ぐ突っ切って」  志貴が沙代の耳元に優しく声をかけると、沙代もその言葉を信じて身体の震えが止まった。走行も安定して、志貴は懐から銃を取り出し狙いを定めた。  志貴の側からは銃を撃ってくる男と運転者の2人を確認出来た。それ以外の乗車は確認出来ず、他の車がこちらを追って来る気配も無かった。2人の服装からして、沙代を拉致した組織に所属している奴らのようだ。  銃を持っている男が志貴の顔に狙いを定めると、銃を撃って来た。銃弾は志貴の頬を掠めた。志貴は頬から流れ出る血に気もかけず、しっかりと狙いを定めて銃弾を放つ。志貴たちに銃を撃って来た中国マフィアの男は額を見事に撃ち抜かれ、白目の状態で絶命した。  仲間が額を撃ち抜かれたのを見て、運転している男は冷静さを失った様子で、猛スピードでバイクに突っ込んで来る。志貴は再び狙いを定めると額を狙った。しかし、志貴が放った銃弾はフロントガラスを突き破らず、微かな傷を付けた程度だった。  運転している男はニヤリと笑った。そして、志貴たちとの距離も少しずつ縮まりつつある。このままだといずれ後ろからぶつけられてしまう。  しかし志貴は冷静さを失わず、再び銃で狙いを定める。運転している中国マフィアのこの男はニヤついた不敵な笑みを浮かべ、思いっ切りアクセルを踏み付ける。志貴はその余裕そうなその顔に再び狙いを定める。そして、もうあと数秒でバイクと接触するそのタイミングで、志貴は別の場所に狙いを変えた。  銃声が鳴り響く。志貴の瞳には右側の前輪のタイヤを撃ち抜かれ、スリップして建物の壁に激突する黒のセダンが映っていた。黒のセダンはその数秒後爆発して、大きく火花を散らしていた。   その後他に追っての姿も無く、無事に沙代を目的地まで送り届けることが出来た。月光の女たちのバンに乗る沙代を見送る暇もないまま、二番街のチャイナタウンへとバイクを走らせた。  二番街のチャイナタウンに着いたのは深夜の2時過ぎだった。街が所々赤く燃えていて、まるで市街戦のような様子だった。道端には制服を着た警官が数名倒れている。志貴はバイクを止めて、赤く燃え上がるジャングルの中へと入っていった。  チャイナタウンの中を進んでいくと、燃えている場所が少なっていって、段々薄暗くなっていった。ここのチャイナタウンは特に酒場や風俗店が多く、人が普段住んでいる住居が見当たらなかった。人気のない街を歩き回り、橙色の屋根の大きな中華料理店の角を曲がると、大きな通りに出た。すると、角の直ぐ側にベージュのトレンチコートを着た若い男の姿が見えた。男が振り返り、志貴に銃を向けた。志貴も懐から素早く銃を抜いたが、相手の顔が分かると銃を下に向けた。 「義和か?」 「志貴!おまえどうしてここに?」 「そんなことより先に、この状況を説明してくれ」 「分からんが、部下が数人やられた。部下を殺したのは、恐らく今この街を騒がせてる殺人鬼。若しくはその一味といったところだろう。ここは危ない。今直ぐ離れろ」 「いや、それが出来ないんだ。昨日おまえと会った時俺と一緒にいた依頼人。覚えてるだろ?彼女がこの街にいるんだ。早く連れ出さないと。それに義和。おまえも部下を殺されて孤立した状態なんだろ?彼女を見つけるまでの間、一緒に行動しよう」 「分かった。一緒に出るぞ」  頷くと一緒に通りを出た。すると右の方向、何やら通りを歩く人影が目に入る。志貴たちはゆっくりと近づいていった。  志貴たちと人影との距離が10mぐらいになると、街灯の灯りで人影の正体が分かった。牡丹などの花柄で彩られた白のチャイナドレス。長くてきれいな髪。相手も志貴たちに気づいて振り返る。すると、そこには愛玲の姿が見えた。 「おいっ、いたぞ!」  義和は声を上げる。志貴たちが愛玲のそばに近づき5m手前まで来た瞬間、愛玲は額を銃弾で撃ち抜かれる。そして今度は義和が頭を撃ち抜かれて、アスファルトに倒れた。 「義和!義和っ!!」  志貴は銃弾で倒れた義和に、寄り添う形でしゃがみ込む。即死だった。後頭部を撃ち抜かれ、顔を地面へと叩きつけた状態だった。周囲には割れた眼鏡のレンズが散らばって、赤く淀んだ血の沼ができていた。  志貴は涙を流しながら、振り返り銃を構えた。銃口の向かう先には、街灯の上に立つ胡蝶の姿があった。胡蝶は意地悪く笑うと、何だかスッキリした表情を見せる。 「やっとこいつを殺せたわ。横腹を撃たれたあの傷、ホント痛かったのよね。これでスッキリした。次はあんたね、修羅」  志貴は怒りの感情を抑えながら、涙を袖で拭った。そして、胡蝶に尋ねる。 「義和を殺したのは分かるのが、でもなぜ愛玲を殺した?生かしたまま連れて行くんじゃなかったのか?」 「へぇ~、泣いていたから、もっと感情的になるのかと思った。そこのクソ眼鏡とは、随分仲よさげに見えたから。……いいわ。理由を話してあげる。わたしが所属する組織のアジトが次々と襲撃されたのよ。それで調べてみたら、襲撃される前日まで組織が経営する店で働いていることが分かってね。アジトは他の街にもあったんだけど、他の街の店でも働いていたことが確認できた。本当は殺さず捕らえろってことだったけど、組織ももう潮時ね。面倒くさくなったから、殺したのよ。もしかしたらアジトを襲ったのが彼女かもって思ったけど、こんな簡単に殺されるようじゃ違ったようね」  志貴は街を見渡し、そして空を見上げた。すると、いろいろな人との記憶が蘇ってきた。人の暖かさに触れた感触が、再び志貴の身体を包み込み、志貴は心の中宇宙を駆け巡りながら思いに馳せた。そして、再び胡蝶に尋ねる。 「今事件を起こしてるのは、おまえなのか?」 「そういうことになるのかな。この街の組織のアジトをやられたから、敵対組織の拠点を幾つかね。後は警察との小競り合いで、いろいろ()ったかな」  志貴は冷静なまま胡蝶を睨む。 「おまえは義和の仇だ。それとこの街の脅威。この街に住む人たちの害悪だ。だから、おまえをここで止める」  志貴の言葉に胡蝶が高笑いした。 「ハハハッ!わたしを止めるって?今までわたしに手も足も出なかった男が、よくそんなセリフを言えるわね!」  胡蝶に嘲笑れようが、志貴は冷静なまま真剣な表情で話を続ける。 「確かにそうだな。ホント、助けられてばかりだ。でも、助けられてばかりもいかない。今まで俺を助けてくれたみんなが、今度は窮地に立たされている。そう、今度は俺が助ける番だ。それともう1つ。俺は殺される気は毛頭ない。生きてみんなのところへ帰るんだ。……さぁ、どうした?俺を殺すんだろ?かかってこいよ。こっちはもう準備ができてるんだぜ」  志貴の言葉に胡蝶がニヤッと笑った。 「いいわ。だったら、お望みどおり殺してやる!」  志貴は直ぐ様銃を撃つ。しかし胡蝶は上に飛んで弾を避ける。志貴は胡蝶の飛んだ方向に銃を向けようとした。その瞬間短刀が飛んできて、志貴は後ろに下がりながら避ける。アスファルトに3本の短刀が刺さる。  胡蝶は両手から小さな緑の炎を作って投げつける。炎が大きな蝶の形に化けて志貴に襲いかかる。志貴は(かわ)そうとするが、大きな蝶の羽に肩を(かす)ってしまう。志貴の瞳には羽織っていたコートの生地が焼けただれる様子が確認出来た。この様子から殺傷能力が低いと分析して、胡蝶が生み出した緑色の炎の蝶の攻撃も避けながら、胡蝶本体の動きにも気を付けていた。  胡蝶はアスファルトに着地して、腰に下げていた瓢箪を手に持って、何やら口に含む。そして頬を大きく膨らませ、大きな炎を志貴に向かって吐き出した。  志貴は炎を左右に跳びながら躱していく。胡蝶はそれを追いかける。志貴は後ろに下がりながら、ビルが並ぶ地域へと誘い込む。志貴は胡蝶が火を吹いたその瞬間に、炎の蝶の姿が消えたことを見逃さなかった。  胡蝶は瓢箪の中身が無くなると、腰に下げていた大陸製の一振りを抜いて、志貴に斬りかかる。志貴は右袖から素早くサバイバルナイフを取り出して攻撃を防ぐ。志貴は不敵な笑みを浮かべながら、今までの戦いで分かったことを胡蝶に話す。 「おまえ、確かに強いが、その力も万能では無いようだな。攻撃力の高い力、若しくは他の能力を使ってる間は、おまえお得意の分身を作り出せない。そうだろ?もしそうでないなら、俺はもうとっくにやられてる」  志貴の言ったことが図星だったようで、胡蝶は不気味な笑みを浮かべる。 「だったらお得意の分身を使ってあんたを殺してあげるわ」  胡蝶が剣を握っている手に力を入れる。サバイバルナイフの刃が折れそうになり、志貴は後ろへと跳ぶ。ナイフの刃が折れて、志貴は後ろへと走る。しかしまるでデジャブのように、十字路に差し掛かってしまった。胡蝶は分身を作って、4つのビルの屋上から志貴に銃口を向ける。 「フフフッ、この展開、前にもどこかで。……あんたの死に場所は、こういうところが似合ってそうね。わたしも殺し屋らしく銃で殺してあげる」  志貴はどれが本体なのか考える。殺し合いとは本当に刹那的だ。一瞬の判断が生死を決める。胡蝶がニヤッと笑う。 「じゃあ、殺すね。サヨナラ……」  胡蝶が引き金を引く瞬間、志貴はビルの窓ガラスを見る。そして、暗い夜の中銃声が鳴り響く。  志貴は左斜め後ろに立っていた胡蝶を撃った。胡蝶は胸を撃たれて、十字路に倒れた。他の分身が緑の炎に変わって、そして消えた。志貴は撃たれる寸前窓ガラスを見た時、1体だけしか見えなかった。志貴は胡蝶がガラスや鏡に分身を映し出せないことに、ぎりぎりのところで気づいた。  志貴はゆっくりと胡蝶の下へと近づいた。胡蝶は大の字に倒れ、とても苦しそうな様子だ。志貴は胡蝶のそばにゆっくりと近付いた。 「どうして?」 「殺し合いとは本当に一瞬の出来事だ。僅かな隙が命取りになる。おまえは確かに俺より強い。強い力を持ってる。でも俺たちの後をつけてたあの時に、おまえは姿を見せず真っ先に俺を殺すべきだったんだ。確かに俺はおまえのような異能の力を持ち合わせていない。だからこそ、おまえは俺たちの前に姿を現した。自分が負けるはずが無いと思って。でもその過信こそが命取りなんだ。確かにおまえは強い。でも命の駆け引きが一瞬であることを、おまえはしっかりと理解するべきだった。この世に完璧なものは存在しない。だからこそ、弱点は必ずあるとね。おまえの場合、鏡やガラスにまでは分身を映し出すことが出来ないことが決定的な弱点だ。だからこそ、おまえは俺に撃たれて今倒れている。そう、この僅かな過信こそがおまえの敗因だ」 「フフフッ、あんたを徹底的に追い込んで殺せたと思ったのに、逆に説教される立場になるとはね。はぁ〜、あんたの言う通り、確かに油断してたかも。殺し屋修羅って通り名のわりに、正直あまり大したことないなと思ってたから。でもそうね、今だから思うのだけれど、そうやってわたしのように油断している相手の僅かな隙を決して見逃さないから、あんたは殺し屋修羅として闇の世界の人間からも恐れられてたんでしょうね。ホント、わたしの完敗ね……ゴホッゴホッ!」  胡蝶は一層苦しそうな表情になって血を吐いた。志貴は地面に膝を付けると胡蝶の手首から脈を測った。 「何するつもり?」 「今からおまえを助けようとしているんだ。医者や看護師でも無い俺がやるから心許ないが、おまえは生きなければならない。そして、罪を償うんだ」  志貴のこの言葉を聞いて、胡蝶は隠し持っていた銃を手に持って志貴に向けた。 「ふざけないで。それとこんなに見事に胸を撃たれてちゃ、わたしはもう助からないよ。それにもしわたしが助かるのだとしても、刑務所に行くのはやだね。わたしのような異能の犯罪者にはどうせ人権なんて無いだろうし、モルモットにされることなんて分かってる。だったら、自分の命なんだから自分でケリをつけるわ」  胡蝶は自分のこめかみに銃口を向けた。 「おいっ、やめろ!!」  志貴が胡蝶から銃を取り上げようとするその瞬間、大きな銃声が鳴り響く。胡蝶は自身の頭を撃ち抜きあの世へと旅立った。  亡骸となった胡蝶を見下ろす志貴。近づいてくる複数の足音が聞こえてきたため、後ろを振り返る。弥生、月光の娼婦2人、そして義和の亡骸を抱きかかえたスミレの姿が見えた。弥生はうずくまった胡蝶の姿が目に入ると口を開く。 「()ったのかい?」 「あぁ、殺すつもりで戦わなければ、こっちがやられてた。駆けつけてくれて、ありがとう。スミレさんもありがとう……義和を、義和をここまで運んできてくれて」 「志貴ちゃん……」  スミレは悲しい顔を浮かべながら志貴を見る。弥生は志貴にお構いなしに、話を続ける。 「この坊やが倒れてたところに、もう1人死体があったんだが、もしかしてあれが愛玲なのかい?」  志貴が首を縦に振ると、弥生が苦い顔をした。そして、言いにくそうにまた話を続ける。今度は独り言のように。 「あんたが前チンピラから助けてくれた、あの()がね、麻衣がね死んだんだよ。流れ弾が当たっちまった。チッ、何でだろうね?人が死ぬと何でこんなに悲しくなっちまうのは……」  志貴は言葉が見つからなかった。右手で目元を覆う弥生を見ると、とても胸が苦しくなった。 「でも、あの()は幸せだった。だって、あんたを助けに行くって、真っ先に飛び出していったのがあの()だから。自分の生き方を貫き通して、そして死んでったんだ」  弥生は目元から手を離すと、深く深呼吸した。そして感情的な部分を押し殺すと、志貴に目を向けた。 「……あんたに伝えなければならないことがある」  志貴が頷くと弥生は枯れた声で続ける。 「ついさっき、ウチのPCにメールが届いてね。今日の朝5時に、一番街にある海岸沿いの日本庭園にあんた1人だけで来てくれって内容だった。そうすれば、今起こってる事件の発端と真相を教えてやるってね。どこから送られてきたのか、念入りに調べてみたけど駄目だった。かなりのやり手だよ」 「分かった。1人で行く」  スミレが心配そうな表情で声を上げる。 「志貴ちゃん、駄目!明らかに罠よ。1人で行っては駄目。行くんだったら、みんなで一緒に……」  志貴は首を横に振る。そして優しい顔をみんなに向けながら、ゆっくり語りかける。 「ありがとう。この気持ちだけ受け取っておくよ。でも、1人で行く。みんなを巻き込んでしまっておいて、勝手な言い草だとは思ってる。でも、今まで起こってきた出来事全て自分の過去と少なからず関わりのあることばかりだ。そして俺を呼び出そうとしている人物は、俺の過去をよく知ってる。分かるんだ。恐らく、相手も1人だ。だから、1人で行かせてくれ。過去の自分とケリをつけるためにも」  スミレが再び引き留めようとするが、弥生が右腕を横に広げ、スミレを止める。弥生はいつもどおりのハスキーな声で、志貴に声をかける。 「分かった。1人で行っておいで。でも、死んじゃ駄目だよ。そしたら、あんたを待ってるあの()が悲しんじゃうから」  志貴は優しく微笑む。 「分かってる。そのためにも、銃の弾を分けてもらえないか。もう残ってないんだ」  志貴は弥生から弾を受け取ると、ふらつきながら夜の荒れた街の中へと消えていった。
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