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さて、こうして多数の儒学者と江戸幕府の隆盛により、垂加神道(儒家神道)は広く国に浸透していきますが、幕末になると、これを国学者がひっくり返します。
いわゆる『復古神道』です。
第三編でも触れましたが、神道には仏教や耶蘇教(キリスト教)と違い、経典(教典)がありません。
が、国学者が『古事記』『日本書紀』と言った古典を文献学的に研究し、原点である『伊勢神道』に近い、神道は『天照大神の道にして、天皇の天下を知食(しろしめ)す道』であると言う、神を『人の心』から『崇める存在』に還します。
書いてる私が言うのも何ですが、神様…正直いい迷惑でしょうね。(汗)
で、この『復古神道』を興した国学者で一番有名なのは、日本史でも恐らく見たことあるでしょう『本居宣長(もとおりのりなが)』です。
彼は、垂加神道などの『儒教』や『仏教』を交えた教えを『漢意(からこころ)』…要するに邪道だ傲慢だと批判し、神道は『古典』に則った『天照大神が伝えた人の依るべき道』こそが神道であると説きます。
宣長の没後は、彼の門人の1人であった国学者の『平田篤胤(あつたね)』が、師とはまた違った独自の研究を行い、『祭政一致』を唱え、天皇の積極的な政治関与を主張。後の尊皇攘夷思想、王政復古に多大な影響を与えることになります。
こうした流れから、大政奉還後、『天照大神』を皇室の守護神とし、天皇の神格化、『国家神道』へと、常に神道は時代に翻弄されて変遷していきます。
菊和や春門が、げんなりしたくなるのも、さもありなんな気がします(苦笑)
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