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滑らかに口が動く男は個人的に苦手だ。おまけにこの微笑み。
偏見なのはわかっているが、この手の男にあまりいい思い出がない。
店の方へ視線を向けて、独り言のように呟く。
「……五分は遅れるってことね。わかった、ありがとう」
「名前の件はおしまい?」
「……君の名前を今聞いても多分また忘れるから意味ない」
事実だった。
相手に相当興味がわかないと、顔と名前の一致がなかなかできない性なのだ。
葵の名前を覚えたのも多分、大学に入学してから暫く経っていたはずだ。
新歓コンパでの私の印象を葵はよく口にするが、正直全く記憶にない。
いくつか同じ講義を取っていることに気が付いたのもゴールデンウィークもとっくに過ぎていたはずだし、雨が多かったような気がするから梅雨に入っていたように思う。
懐古しかけたその時、目の前に立つその男がゆるりと隣に座った。
「……何。君、仕事は」
こちらの了承を得ることなく勝手に隣に座られたことに若干苛立ちを覚え、視線を向けることなく問う。
「僕は本来三十分前には上がりだったんで」
「……帰れば」
「瀬上さんの手伝いしてたから。ちょっとトラブってね」
「……そう」
「内容訊かないの?」
「……君から聞く必要性を感じない」
葵が仕事でトラブルを起こしたとしても、それは葵自身が話したいときに葵自身の口から聞くことであって、同僚のこの男から聞きたいとは思わない。
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