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まるで見てはいけないものを見てしまったみたいに、あわてて光から目をそらしながら。
――だいじょうぶ。ほら、誰もぼくを止めやしない。
ぼくが死んだって、誰もなんとも思わない。
いいや、ぼくが死ねば、きっとみんなうまくいくんだ。
のろのろと、光は立ち上がった。
リュックを足元に置き、錆びて、塗装のはげたらんかんに、手をかける。
らんかんは高いけれど、あちこちに大きなビスや金具の出っぱりがあって、うまく足をかければ乗り越えられそうだ。
ふるえる爪先を、金具のかどに乗せる。
――遺書……、どうしようかな。やっぱり、書こうかな。
遺書がなかったら、光の死は自殺としてあつかわれないかもしれない。
でも、そのほうがいいかもしれないと、光は思った。
一人息子が自殺したと知るより、ぐうぜん事故で死んでしまったと思っているほうが、お母さんはまだ気がらくなんじゃないだろうか。
お母さん。お母さん、寂しがるかな。ぼくがいなくなったら。
――だめだ。だめだ、よけいなこと考えちゃ。
ぐずぐずしてたら、どんどん踏ん切りがつかなくなる。
勇気があるうちに、飛び降りるんだ。
そうすれば、みんな、終わる。
全部、らくになれるんだから……!
「ねえあんた、死にたいの?」
突然、高い声がした。
「自殺するの? じゃあそのからだ、いらないんだ? だったらあたしにちょうだいよ」
「――え?」
光はふりかえった。
冷たく、鉄みたいなにおいのする風が、一気に光の全身をおしつつむ。
ぞうッと、足の先から頭のてっぺんまで、からだ中の皮膚が鳥肌立った。髪の毛まで全部、逆立つ。
「あんた、そのからだ、いらないんでしょ? だったらあたしがもらっても、いいよね?」
そこには、全身を真っ赤に染めて、右肩から腰、右足までをぐちゃぐちゃにつぶされた、若い女の幽霊が立っていた。
長い黒髪の下、奇妙なくらいきれいな左半分の顔で、幽霊がにィッと笑う。
光に向かって、右手をさしのべて。その手は、手首から先が奇妙な角度に折れ曲がり、おもちゃみたいにぶらぶら揺れていた。
「ね、ちょうだい?」
光は返事ができなかった。
そのまま、白目をむいて気絶した。
気がついた時、光は見慣れた自分の部屋にいた。
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