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「あ、あの……」
蚊の鳴くような小声だったが、私にしては「あの、」の一言が出ただけでも奇跡だと思った。
ただそこまでだった。
その後が続かない。
頭の中は真っ白に吹き飛んで、喉は張り付き、かろうじて出てくるのは掠れた二酸化炭素だけ。
夏の暑さだけではない嫌な汗が噴き出した。
何も言えず馬鹿みたいに突っ立っていると、私の声というよりは人の気配に気付いた少女が顔を上げた。
視線がぶつかる。
少女は私を見ると一瞬のうちに怯えた表情になった。
私は何故そんな表情をされるのか、訳が解らぬままとっさに数歩後ろに引きさがった。
急に人が現れて驚いたのかもしれないと、好意的に考えればそう言えなくもない……が、長い沈黙が流れる。
少女は小刻みに肩を震わせ怯えていた。
その姿はまるで追い詰められた小動物のようで、私はどうしていいかわからずにいた。
やがて少女は、私から視線を外さず手探りで立ち上がると、涙を浮かべ震える声でこう言った。
「も、申し訳ございません、いらっしゃる事に気が付きませんでした。私……私は、今日からここでお世話になる中井佐知子と申します。……さ、先程、旦那様から私の仕事の事を聞きました。私にできる精一杯の事をしなさいと……で、でも、ご、ごめんなさい、私、まだ……その……気持ちの整理がつかなくて……だ、だけど、私……頑張ります、だから、だから……」
そこまで言うと堪えきれなくなったのか、少女は両手で顔を覆い声を殺して泣き出した。
私は途方に暮れた。
父が少女に何を言ったのか。
下働きの仕事と言えば掃除や洗濯、それに大所帯の食事の用意で大変だろうが、泣いて怯えるような仕事ではないはずだ。
だがやはり……霊力などないであろう普通の少女が、日常的に降霊をしている屋敷に仕えるのは恐ろしいのかもしれない。
私はとにかく、少女に泣き止んでほしくて何か話さなければいけないと思った。
こういう時、中学の頃クラスで楽しげにお喋りをしていた彼らなら、なんと言って慰めるのだろう?
「僕は……あの、瀬山彰司といいます。十六歳です、」
私は心の中で舌打ちをした。
やっとの思いで絞り出した自分の言葉に絶望する。
我ながらひどい。
私の名前や年を聞いたところで、彼女にとって何の慰めになるというのだ。
違う、こうじゃない、もっと彼女が安心できるような話をしなければ、もっと気の利いた事を話すのだ。
そう強く思うのに焦れば焦るほど言葉に詰まる。
考えがまとまらない。
自分の不甲斐無さが情けなく、私まで泣いてしまいそうだった。
ああ、私はどうしたらいいのだ。
この少女に何を話せばいいのだろう?
何を言ったら泣き止んでくれるのだろう?
何をしてあげたら少女は笑ってくれるのだろう?
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