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私は過去、誘拐された事がある。
このような告白をここに記すのは、例によって、あの月が、私の背中を押しているからかもしれない。
すっかり葉をおとした木立の枝の先まで、雪が降り、儚い花を咲かせてた。
その輝きは、上空で音もなく冷たく無表情な、あの月が垂れ流しているせい。
隣り合った氷の星からの空気を。
それは、紫がかった夜の闇の上でさらさらと流れ、地表に近付くにつれて結晶とかわり、雪と呼ばれるものに変わるのだ。
無表情な、あの月は、私の背中をいつも無言で押す。
そうすると、私の指先は、机の奥ににしまってある万年筆を探し始める。
見つけた万年筆は、皮膚を冷たくして、私を待ちわびていたようで、握ると熱を帯びる。
月の光を跳ね返した白い紙に、スケートの感覚でくるくると万年筆の先を滑らせた。
黒いインクが、純白の紙をひっかいて傷をつける。
何かを告白すると言う事は、傷を伴うのかもしれない。
私にとって、あの時の記憶は、特別だった。
特別だからこそ、誰にも教えたくなくて、ずっと小箱に閉じ込め、鍵をかけていた。
それが、なぜ、今頃になって告白したくなったのだろう。
やっぱり、月のせいとしか、思えない。
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