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「だめだ……」
「え?」
「だめ、駄目だ……!」
触れていた手を振り払って駆け出した。何度も脚が縺れながら、頭に浮かぶのはあいつとの楽しい記憶ばかりだ。思い出が多すぎて、何をしていてもあいつのことばかり考えるんだ。
殺せない。あいつとの記憶が、心のほとんどを形成している。
消したくない。ぜんぶ、ぜんぶ、大切だから。
走り続けて、気が付けば自宅であるアパートの前まで着いていた。突然膝から崩れてアスファルトにへたり込む。酔いが一気回って動けなくなった。
呼気が白く舞い上がる。雪みたいに融けて消えていく。
「おまえ……っ! こんなところで何してんだよ!」
聞き慣れた声で響いた、聞いたことがないような切羽詰まった怒号。
スーツ姿。細長い背格好のあいつが息を切らして立っていた。ツカツカと寄ってきて俺の目の前で立ち止まる。
「死ぬとか……! ふざけたこと送ってきやがって……!」
「は……なに。マジギレして。俺が本当に自殺するような性格じゃないことくらい、あんたなら分かってるだろ」
その怒りが、ひどく理不尽なものに思えた。
こんな状態にさせたのはあんたなのに。勝手に俺を捨てて、他人の元へ行こうとしている奴に、どうして怒鳴られなけばいけないんだ。
「うるさい! 嘘だろうが本当だろうが、おまえが死ぬなんて言ったら心配するに決まってるだろ!!」
あいつが両手の荷物を地面に放った。殴られると思ってぎゅっと目を瞑る。けれど、両腕ごと身体を締め付けるように抱きすくめられた。心臓が縮こまるような感覚。一瞬、息が詰まって呼吸が出来なかった。
「心配した……もう二度とこんなことするな」
包まれた身体の芯は熱く、指先は氷のように冷たい。こんなに冷えるまで、どのくらいの時間俺を探し回ったんだろう。
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