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暫くすると、使用人が食事を持って現れた。
予想外なのは、運ばれたのが朝食であることと、その使用人の出で立ちが制服ではなく、白装束に顔を隠す布作面をしていることだ。
(そうか、今日は十二月二十九日か)
その事実に半ばうんざりし、更に食事に続いて運ばれた鏡張りの衝立が、部屋の四方の壁を覆うのを見て、更に気が重くなるのだった。
ここの正月の慣習は、恐らく世間一般のそれとは違う。
暮れから正月にかけて、俺は巫覡として務め、"家"の慣習に則って生活することになっている。
十二月二十八日に身を清め、年の暮れ三日間と正月三が日までを、徹底的に清浄され、日光を遮断した自室から一歩も出ず、人とも遭わずに過ごす。
目的は、年末年始を穢れや邪気に触れず、清い体で過ごすこと。その為に、部屋の四隅に盛り塩と水晶を置いて結界を張り、穢れを祓う香を焚き上げ、気を浄める榊の枝を窓辺と戸に置き、仕上げに穢れ避けとして身代わりとなる自らの虚像を写す為に鏡張りの衝立を置く。
さっき、使用人を見て日付を認識できたのも、彼らが『人と遭わない』という慣習に則り、人にあらざるものの姿を取っていたからだ。
その他にも、面倒な儀式や作法があるのだが、なにより六日間、薄味の精進料理と白湯しか口にできないのが辛かった。
幽閉はいつもと変わらないのだが、窓の外も見られず、日光も遮られているお陰で時間が判別できないのが地味に辛い。しかも、どこを向いても自分の虚像が目に入るのだから、まるでドッペルゲンガーと同居をしているような気分になり、げんなりした。
一分一秒が長く感じ、終わりがまったく見えない。
この気が狂いそうな生活が始まった頃は、退屈凌ぎに、机に積み上がっていた祝詞を読んで過ごしたが、すぐに飽き、結局は寝て過ごす事にした。……とは言え、前日に十二分に寝たこの身を襲う睡魔はいないようだ。一向に眠たくならない。
そんな自分が他にできる事は、思考するだけだった。
奴――フミヲと言ったか、アレが数日間煩かったせいで、やけに静かに感じる。
そう云えば、奴の言っていた『友達』ってなんだろう。
なんで俺が逃げてもすぐに見つけられたんだ。
もう帰ったのかな。
煩い奴だが、そこまで悪い奴ではなかった。
それにこの数年でまともに人と話したのは初めてかもしれない。
大体、なんで奴みたいなガキがここに来たんだ。
なんで? どうして?
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