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 寒空の下、息を潜めて屋根の上に身を伏せ、追手をやり過ごす。  氷のように冷たい屋根瓦が、体温を容赦なく奪っていった。 (アイツ、まだ、この辺りをウロチョロしてる。今回のヤツはガキのクセに妙に堪が鋭い)  目を閉じて意識を集中し、追手の気配を探る。  屋敷内を動き回るそれらしいものが、確かに感じられた。  目標が定まっていないような不規則な動きを見せてはいるものの、決して外れた方向には逸れず、こちらと一定の距離を保っている。  下手に動くと、こちらの位置がバレてしまいそうだ。  計画では、監視の隙を突いて逃げた後は、相手の死角を取って逃げるつもりだったのに、気付けば屋根の上にいた。 (こっちはゆっくり読書をしたいのに、なんで一人にしてくれないんだ? まったく)  ため息をひとつ吐き、単行本を懐から取り出す。  まだ、腰を据えてこいつを読めるほどの余裕はなさそうだ。  ここは、とある山の中にある、とある富豪の別宅。  別宅とは言うものの、この屋敷ができて以来、その富豪が足を踏み入れたことは、一度としてない。  ここにいるのは、その富豪の分家筋の人間にあたる俺と、数人の使用人と監視役だけだ。  何故、屋敷の持ち主とはほぼ無関係な人間がここに住んでいるのかは、当人である俺にもわからない。  わかるのは、俺が七歳になると同時に、屋敷の持ち主によりここに幽閉されたということと、俺を自由の身にさせる気が毛頭ないらしいということだけ。  ここに来てから、どのくらいの月日が経ったのかなど憶えちゃいないが、あまりの退屈さから自由を求めて脱走を試みたことならばしょっちゅうある。  まあ、この屋敷を覆う頑丈な塀と特殊な結界のせいで、塀の外に出られた試しは一度としてないのだが。 (脱走できないとわかっているだろうに、どうして監視を寄越すのか。俺を雁字搦めにしてなにが楽しいんだか)  ただでさえ、行動範囲の限られた場所にいて窮屈な思いを強いられている上に、監視役まで目を光らせているのだからたまらない。  たとえ自室にいても、使用人やら家庭教師が定期的に俺の様子を窺いに来るし、自室を離れると、途端に監視役にマークされて、正直、ウンザリだ。  俺を見張るのは、他の使用人同様、愛想もなければ口数も皆無なつまらない監視役。それが常に必ず一人は俺の近くに控えている。  概ね成人男性で構成されているらしい彼ら監視役が、総勢何人いるのかは皆目見当がつかない。  それは、彼らが揃ってサングラスに黒スーツを着用している上に、無言で無表情、個性もあまり感じないものだから、個々の区別が大してつかないのが一因だ。あと、俺が彼らの存在など正直、どうでもいいと感じているのも原因だろう。  だが、つい先日入ってきた監視役の一人だけは、話が違う。  そいつは他の監視役とは大きく異なり、個性を大いに主張する。そして、実に厄介なことに、そいつは俺の平穏な時間を奪う最大の敵であった。 「見つけたぞ、ヤシオ! 少しは探す方の身になれ」 「……また、お前か」  ふいに屋根の軒先に梯子が掛けられ、少年が一人、文句を垂れながら屋根に登ってきた。  年の頃は、十歳前後。  天然パーマのかかったモジャモジャ頭が特徴的な、ごく普通の少年。  着ている服は鶯色のワイシャツ、白のセーターに黒の綿ズボン。  彼は最近派遣された監視役で、今の俺にとって目の上のタンコブだった。  彼……否、奴は他の監視役とは明らかに違う。  年頃も若いというより幼く、格好も黒尽くめではないし、とにかくよく喋る。  そして、なによりしつこさが尋常でないのだ。  奴は、就寝時間と入浴以外は常に、俺と行動を共にする。俺の自室だろうが、構わず入ってきて我が物顔で居座り、ベラベラとよく喋った。 『オレ、フミヲ。今日から半月くらいお前の監視役するから、よろしく頼む』 『お前、首の包帯どうしたんだ。……病気? よく手を当ててるから痛いんだろ。早く治るといいな』 『この部屋、なんもねーな。スゴロクでも作って遊ぼうぜ』 『この字の読み方知ってるか。オレ、まだ習ってねーんだ』 『なあ、ここの蔵書、乱歩ないのか。お前、いつも何読んでるんだ? ……え、この屋敷中の本、全部!? 凄いな』 『これから授業? お構いなく。オレは冬休みの宿題するから』 『お前な、飯は全部食え。食わねえと、治るもんも治らねえぞ』  これまで常に一人で過ごしてきて、周囲の人間と必要最低限の会話すら許されなかった俺にとって、コイツの存在は、異常にして異質と言える。  俺の周囲の奴らが寡黙すぎるのか、コイツが過度に饒舌なのかは不明だが、とにかく喧しい。  そして、こちらの迷惑もおかまいなく、暢気な顔をしてオレに近寄ってくる。  兎にも角にもこんな人間は初めてで、どうにも対処しきれない。  本当に、面倒な奴を寄越されたものだ。  コイツが来てからというもの、退屈を持て余していた筈の一人の静かな平穏な日々は一転し、異分子が常に干渉する騒々しい日々となった。  それが堪らなく苦しくて、だから隙あらば逃亡を図り、静かな空間を求めたのだ。  押し入れ、書斎、茶室、隠し通路、裏庭のカキツバタの茂み、蔵、屋根の上。  どこも今まで脱走を図る時に隠れるのに適したスポットだったのに、コイツはいとも簡単に見つけてしまう。  歴代の監視役の誰よりも早く的確に俺を捕まえた優秀な追手が、まさかこんなガキだなどと、一体、誰が思うだろうか。 (次はどこに隠れたものか)  奴に見つからない場所とは何処だ? 取り敢えず、次は寒くない場所にしよう。  かじかむ手に息を吹きかけてながら、誓った。
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