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外には湿った空気が漂っている。
雲が厚い。今にも雨が降ってきそうな空だ。
松平元康(マツダイラモトヤス)は障子戸を閉めると、板床の上に胡座をかき、居並ぶ家臣たちに向いた。
「皆、ご苦労であったな」
元康は一人一人の顔を見回して、言った。
居並ぶ具足姿の家臣たちはどの顔も頬が削げ、眼からは異様な光が放たれている。
大高城の一室である。
兵糧の運び入れは今日の明け方までかかった。
米俵を運んでいた者、織田方の敵兵と闘っていた者、丸二日間、誰一人としてろくな食事も睡眠も摂っていない。
沓掛城に駐屯していた今川義元は今朝、2万5千の兵を率いて、西進を開始した。
織田方の動きはまだ入ってきていないが、総兵力は2千ほどだという。
「くそ、義元め」
鳥居元忠(トリイモトタダ)が板床に拳を打ちつけて、吐き捨てた。
「丸根砦を制圧し、大高城に兵糧を入れたのは我ら三河国人衆だ。なのに、労いの言葉もないのか」
「鳥居よ。かりかりするな」
酒井忠次(サカイタダツグ)が穏やかな笑顔を浮かべ、元忠を宥める。酒井忠次は元康の父、広忠の頃から松平家に仕える家臣で、三河国人衆の番頭だ。元康に戦の采配を教示したのは忠次である。
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