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「乾坤一擲だな」
言って、順正は錫杖の先で揺れる環に眼をやった。
「死ぬために突っ込むのはやめような。それでは、あっさり潰される」
正信は言った。
「勝つために突っ込むのだ、順正殿。でなければ、空誓様はやりきったと思う事ができん」
正信の想い、順正の想い、一向宗徒すべての想い、それらを撥ね返し、生き残って初めて、家康の中に、天下人としての土台が出来上がる、と正信は思っていた。今、家康は23歳だ。若年期に確固たる天下人としての土台を築いておいた方がよいのだ。その土台が、10年後、20年後の家康を支える。そして、新しい日本を創造する。自分が起こした三河一向宗の炎は必ずや未来に繋がっていくと正信は信じていた。
「わしは、家康の首を取るつもりだよ、本多正信」
言った順正の眼にはいつもの厳めしさが戻っていた。
「家康軍は2千だ。さらに、本多忠勝が率いる遊撃隊が50騎。簡単にはいかんと肝に命じていてくれ」
「関係ない」と順正が喚き、錫杖で床を叩いた。あばら家が一瞬揺れた。
「狙うものは、ただ一つだけよ」
「いつでも連絡をとれるよう、居場所だけはわかるようにしておいてくれ」
「お前をもう少し早く理解できていればな」
順正が言った。
「やめよう、順正殿。私と順正殿はあるべき姿でつき合い続けてきた。そして今を迎えたのだ」
順正の口許が少しだけ笑ったように見えた。もう、順正とは何も語る必要はないような気がした。その時を、共に迎えればよいだけだ。
順正が去り、一人になると、正信は朝になるまで南無阿弥陀仏を唱え続けた。
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