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何物にも染まらないというのは、無垢と同義ではない。無彩色の本来的な妙諦は、強情に頑強に、その場を譲らずに不動を決め込むことにある。とりわけ灰色などは最悪で、泰然として自らの立ち位置を動かぬことを金科玉条としながら、白にも黒にもなりきれずに半端なところで立ち尽くしている不出来の産物に過ぎない。
千変万化、何物にも染まり鮮やかな彩色を放つ薔薇色の輝きの足元にも及ばず、風采は上がらぬ一方である。なにも俺こと佐藤文章(さとう ふみあき)は、パレットの上に出した絵の具の色合いの良し悪しを糾弾する芸術家ではない。要は、俺の灰色の青春が、彩度を伴う極彩色の青春にとって代わるのには、どうやらまだ時間がかかりそうだということを確信してしまった現状を憂いての述懐である。
確かに文化祭での一件、すなわち〈呪詛師X騒動〉を経て俺自身の考え方は変化した。唾棄すべき灰色の日常は、実のところ俺自身が灰色に染まり切っていたからこそのものであり、周辺世界――悪友に囲まれのんべんだらりと過ごす日々に時たま訪れる刺激的な謎の数々――は既にして薔薇色であったという気付きは、してみれば俺にとって大いなる一歩であることに違いはなかった。
では、なにがまずいのか。
環境が変われば人は変わるとはよく言われることだが、その逆もまた然りなのである。俺自身が変わった結果、俺を取り巻く状況は変化を見せた。で、ここからが本題なのであるが、その変容は俺にとって望外のものであったのである。
俺は、放課後の校舎にて追っ手から逃げ回っていた。
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