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◆◆
アパートに着いたのは、夜の8時半を過ぎたくらいだった。
私は車の中でお礼を言って外に出る。
「帰り道、気を付けてくださいね」
運転席の前に立ち、車を見送ろうと思ったのに、社長は「ああ、大丈夫だ」と言ってすぐ、ドアを開けて外に出た。
運転が疲れたのか、大きく伸びをして首をぐるんぐるんと動かして……それで、それで、私の顔を……を見たの。
彫りの深い大きな目に見つめられて、心臓が飛び出そうな程ドキンとした。
あ、あれ……?
どうしたんだろう……?
帰らないのかな……?
……
…………も、もしかして、
社長、部屋に来たいのかな……?
そ、そうだよね、送ってくれたのに、ゴハンまでごちそうになったのに、お茶の一杯も出さないなんて失礼だよね、
田舎でも野菜を持ってきてくれた近所の人には、上がってもらってお茶を一緒に飲んだもの。
で、でもな、
社長は男の人で、私は子供だけど一応女の子で、
それっていいのかな、
岡村さんがいればまた違うだろうけど、今はいない、
でも、でも、でも………………いいや、
なにが良くてなにが悪いかわからない、でも、いいや、
「……しゃ、社長、あの、よかったら、その、お、お、お茶を、」
しどろもどろで、言葉がつっかえてしまう。
社長は私の肩をポンと叩き、部屋に向かって歩き出す。
同時に、
「お茶くれんのか? でもいいよ。買い置きだろ? とっといてユリが飲め」
う、うん?
か、買い置き?
なんか話が噛み合ってないような。
社長はドアの前で立ち止まり、私を見ながらこう言った。
「ほら、早く鍵開けて中に入れ。俺が部屋に入る訳にはいかねぇが、玄関までは入れてくれよ。で、待ってるから、部屋の中を一通り見てこい。誰もいなかったらこのまま帰る。もし誰かが侵入しているようなら、俺がそいつを捕まえるから」
誰かが侵入していたら……?
そう言われて私の背筋は一気に冷えた。
そんな事……あるはずない……よね。
だってちゃんと鍵を閉めて出たんだもの。
大げさなんじゃないかな……でも、社長の目は笑ってない。
「悪いな、脅かすみてぇでよ。ま、大丈夫だとは思うけど、用心に越したこたぁねぇだろ。俺は真さんにユリを守ってくれと頼まれたんだ。あの真さんが俺に頭を下げたんだぜ? そんなんされたら約束を破る訳にはいかねぇだろ」
そっか……爺ちゃん、そんな事を頼んでくれていたんだ。
爺ちゃん言ってた、世の中には悪い奴がいっぱいいる、用心して生きろって。
ここは田舎じゃない。
東京で、部屋は一階で、まわりは知らない人ばかりだ。
私は社長に言われた通り、部屋に入ると中を全部見て回った。
部屋も、トイレも、お風呂もベランダも。
「しゃ、社長、誰もいないみたいです」
声が震える。
人の悪意は嫌になるほど知っているはずなのに、爺ちゃん達と暮らしてからは幸せで、それを少し忘れていたんだ。
「そうか。なら良かった。窓の鍵もみんな閉まってるな? じゃあ俺は帰るけど、コレ、身に着けとけ。それでよ、もしも何かあったらさわりながら俺の名前を呼ぶんだ。”社長”じゃなくて”誠”とな。そうすればすぐにわかる。わかればおまえを助けてやれる」
言いながら差し出したのは……赤い水晶のペンダントだった。
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