第十九章 霊媒師 入籍

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◆◆ 夕方の退社ラッシュ。 五差路の信号待ちは、たくさんの人達が目の前を通り過ぎていく。 私と社長は混んだ横断歩道を一緒になって眺めていた。 「夕方は混むよな」 黒の革巻きハンドル。 そこに顎を乗せた社長は、昨日と同じ事を呟いた。 だけど……今日のは昨日と少し違う。 昨日はただの独り言だったけど、今日は顔をこちらに向けて、私に話しかけてくれたんだ。 力の抜けた顔で、優しい目が私を見て、その時、胸の奥がきゅうっと何かに掴まれたような感じがした。 今のは……なんだろう? くすぐったいような、心地いいような、今までに感じたコトのない不思議な感覚だ。 その正体がわからないまま、私は態度が不自然にならないように、普通を装って、「そうですねぇ」とだけ答える。 社長は何か言いかけて、だけど信号が青になって、言葉を止めて先に車を走らせた。 五差路を抜けて、昨日と同じ大きな二車線道路に出ると、社長は私にこう言った。 「ユリ、朝早かったから眠いだろ。寝ててもいいぞ」 眠くないと言えばウソになる。 だけど眠れるはずがない。 ドキドキして、社長と一緒にいられるのが嬉しくて、ましてや車の中は狭いんだもの。 こんなに近くで顔が見れる。 もったいなくて眠るなんてとんでもないよ。 「ありがとうございます。でも大丈夫です。私、田舎じゃ爺ちゃんと婆ちゃんと暮らしてたから、もともと早起きなんです」 これは本当だ。 毎日山に行く爺ちゃんの朝は早い。 その爺ちゃんにご飯を作る婆ちゃんはもっと早い。 私は朝ごはんの支度を手伝うために、毎日早く起きていた。 今日くらいの早起きは、むしろいつもより遅いくらいだ。 「そうか? ま、眠くなったら遠慮しないで寝ていいからな。着いたら起こしてやる」 「ふはは、大丈夫ですって。……というか絶対寝たくない……」 本音はごくごく小さな声で、聞こえないように呟いた。 私……おかしくなってる。 瞬きすら惜しいと思うんだもの。 渋滞した道を狭い車内で一時間。 許されるなら、ずっと顔を眺めていたいな。 「いやぁ、しかし朝は驚いたよ。まさか早く来て勉強してるとは思わねぇからな。本当にユリは真面目だな。エライと思うよ。うちの女共も見習ってほしいくらいだぜ」 ははっと笑う社長は、珍しい生き物でも見るように私を見た。 そういえば言ってたな。 破天荒な先輩方は、研修中に席にも着かず、話も中々聞いてくれなかったって。 す、すごいな……会ってみたい。 そういう不真面目な感じでも、社長は先輩方のコトが好きなんだって伝わってくる。 ちょっぴり羨ましい。
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