第十九章 霊媒師 入籍

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カバンを置いて、かかとの靴擦れに新しい傷テープをつけかえて、私は女子更衣室を後にした。 エレベーターは使わずに階段を下る。 1階に着いた私は、廊下を歩いて一番奥の閉ざされたドアの前に立った。 この向こう側はいつもの事務室。 中には社長の机、事務担当の机、それからまだ全員とお会いした事はないけど、霊媒師の方達が使う個人の机が固まって配置されている。 そのすぐ近くには楕円の形の大きな机があって、霊媒師のみなさんでミーティングをされる時に使うそうだ。 私は入社したばっかりで、ミーティングに参加した事はないけれど、社長と二人の研修では決まって楕円の机を使う。 向かい合って、車の中より少し遠い距離。 その距離と引き換えに、社長を真正面から見るコトが出来るけど、恥ずかしくって照れてしまって、私はノートばかりを見てしまう。 …… …………このドアを開けたら、きっと三人は、あの楕円のテーブルで話をしてるんだろうな。 いつもならこの時間、社長と研修をしている。 今日は違う。 社長と岡村さんと小野坂さんで、重たい話をしてるんだ。 入りにくいよ。 ドアノブに手をかけたまま動けないでいた。 部屋に入った瞬間、きっと一斉に注目されちゃうもの。 そんなの、考えただけで緊張しちゃう。 かといって、社長に「事務室に来い」と言われたのに、このまま廊下にいる訳にはいかないし……どうしよ……と、とりあえず頑張って……ああ、待って無理、まだ入れない。 そのかわり、静かに、そっと、気付かれないように、ちょっとだけドアを開けて様子を伺ってみようかな。 そ、それで、入りやすそうな雰囲気だったら……それか、入りやすそうになったら、行こうかな。 そ、それなら……うん、なんとかなるかも。 はぁ……私って気が小さい。 社長や爺ちゃんみたいに、人の目なんか気にしないで行動出来たら良かったのに。 こういうトコ、ママと婆ちゃんに似ちゃったな。 そーっと……そーっとね、 心の中で呟いて、ドアノブをゆっくりと捻る。 カチャッ…… うわっ! こんな小さな音なのに、社長達に気付かれるんじゃないかとハラハラしちゃう。 別に悪いコトをしてるんじゃないのに、私の心臓はキュゥっと縮み上がった。 少しだけドアが開いて、今まで聞こえてこなかった社長達の声が耳に入ってくる。 な、なんか、これって立ち聞きと言うか、盗み聞きしてるみたいで後ろめたいな。 だったら中に入ればいいのに……「おつかれさまです、片付けおわりました」って。 ああもう、そんなの分かってる。 それが出来たらとっくにしてる。 出来ないから、こんなにコソコソしてるんだ。 私は一人、オドオドしながら聞き耳を立てた。 今どんな話をしてるのかを聞いて、入れそうなら行こう。 うん、気持ちは前向き、ただ行動が伴わないだけ。 腰が引けて、手のひらに汗をかく。 スカートのポッケからハンカチを取り出して握りしめた、その時。 中から小野坂さんの声が聞こえてきた。 「ユリさんって、さっき更衣室に来た女の子ですか? 初めて見る顔ですが、新しい霊媒師でしょうか?」 わ、私の話をしてるの……? なんで、私の話が出るのかな、これじゃあ……ますます入りにくい。
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