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◆
『じゃあよ、岡村は貴子を消しちまった訳じゃあ、ねぇんだな?』
近い……。
真っ直ぐ前を見る僕の横側で、眉間にシワを寄せたお父さんが、これでもかとギリギリまで迫っている。
今、少しでも動いたら、お父さんの荒れてザラザラとした唇が、僕の頬に当たりそうな距離感だ。
決して動くまい……なぜなら僕は霊体を物体として捉える事ができるのだ。
享年70才の超強面からのハプニングキッスなんて絶対に絶対にお断りだ。
僕は石化を死守しながら「そうです」とだけ短く答えた。
『……ふん、どうやらウソをついている感じじゃなぇな』
なんとか信用してもらえたのか、そう言うとようやくお父さんは僕から離れてくれた。
そして人を取って食らいそうな悪鬼の顔から一変。
人って表情だけでこんなに変わるの!? ってなくらいの恵比須顔で、
『ユリ! 良かったなぁ! 貴子は、ママは無事だ!』
とか、
『道草くっちまったな、早くアパートに行こう! 貴子のヤツ、大きくなったユリ見たらびっくりするぞ!』
とか、
『立派になったユリの姿を見せて安心させたら、爺ちゃんが一緒にちゃんとあの世に連れて行くからな』
とか言いながら、ユリちゃんのまわりを右に左に忙しく宙を舞っている。
だけど当のユリちゃんは口を真一文字に結び、固い表情で返事をしない。
悪鬼改め、恵比須となったお父さんの顔に焦りの色が浮かび上がる。
お父さんは身を屈め、大事な孫娘の顔を覗きこむ、が、しかし、ユリちゃんはぷいっと顔を背け、だんまりを決め込んでいる。
『……ユリ? どうした? なんか爺ちゃん悪い事言ったか?』
うわぁ、社長の顔面に躊躇なく膝蹴りを食らわした男と同一人物とは、とてもじゃないけど思えない優しい声なんですけど。
お父さんにとってユリちゃんは目の中に入れてグリグリされても痛くないくらい大事なんだろうなぁ。
ああ、その優しさ、少しでいいから僕にください。
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