第二十二章 霊媒師 岡村英海

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『主は私を忘れた訳ではないよ』 雷神号は穏やかにそう言った。 風が吹けば枝葉が揺れて、木漏れ日も同じようにユラユラ揺れる。 風が止まれば光の雫は落ち溜まり、黒い毛皮がそこだけ仄かにキラキラ輝く。 犬の子は眩い雫に目を細めると、息を吸って続けたんだ。 『主は私を覚えていたし、ちゃんと迎えに来てくれた。死が我々を分けてから、実に数年ぶりの再会だ。主は私を視ると、彼らしくない慌てぶりで走って傍に来てくれた。「雷神号、雷神号、」と彼は、彼は……そう、彼は何度も名を呼んで泣きながら私を抱きしめたんだ』 そうだったんだ……雷神号は忘れられてはいなかった。 元警察官の主さんだもの、きっと生前は優しくもあり厳しくもあったのだろう。 その主さんがそこまで取り乱し再会を喜んだ……ならなぜ、雷神号は置いていかれたのだろう。 『嬉しかったよ。私は叱られるのも覚悟で飛びついた。千切れるほどに尻尾を振って、懐かしい主の匂いを思う存分嗅いだんだ。……彼は、私を叱らなかった。それどころか彼も私の匂いを嗅ぎだした。まったく……おかしな話だろう? お互いに抱き合って、泣きながら匂いを嗅ぎ合っていたのだから』 そか…………1人と1匹は嗅ぎ合ったのか。 泣きながら抱き合って……そか、そうか、うん、良かったね、おかしくないよ、おかしい訳あるもんか。 『それから何日か、私達は虹の国で一緒に過ごした。夜は一緒に草の上、星を視ながら眠りについた。朝は早くに起きだして、生きてた頃と同じように訓練をした。訓練を終えた日中は遊び倒したよ。湖で水遊びをし、山道を駆け上がり、ボール投げもした。彼はまるで子供のようにはしゃいでた。私も一緒に子犬のようにはしゃいでた。私達は笑い合って大騒ぎをしたんだ。あんなに楽しい時間は初めてで……幸せだと思った。それと、彼の事が大好きだとも思った、』 雷神号が話すのを、おはぎは黙って聞いていた。 時々鼻をすすり、慌てたように顔を洗い、真剣に聞いていた。 犬の子はここまで話すと、長く長く息を吐いた。 そして話しだす。 『その日は流星群がキレイな晩だった。主は私を隣に置いて、話があると言ったんだ』 ____雷神号、私は生まれ変わる。 もう一度人に生まれ変わり、もう一度警察官になろうと思う。 そこでまた警察犬の訓練士になるつもりだ。 おまえのような優秀な警察犬を育てたいのだよ。 警察犬は人の為、正義の為に欠かせない力だ。 人間の力だけでは足りない、犬の力だけでも足りない、互いの力が必要なんだ。 その為に、もう一度生まれ変わって力を尽くしたいのだ。 雷神号よ、私を待っていてくれないか? 生まれ変わって次の命が終わるまで。 時間は長くかかると思う、だが私は決して忘れない。 生まれ変わろうと、時間が経とうと、それでもおまえを忘れない。 必ず迎えにくる、それまでここで待っていてほしいのだ。
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