第二十四章 霊媒師 水渦の選択

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一瞬、事務所の中がシンとした。 (らん)さんは、僕のシャツを掴んだまんまで石化してるし、ユリちゃんはお姫と一緒に彼女を見てる。 社長と言えば確かに黙っているのだけれど、ちょっと事情が違ってた。 懸垂の最後の仕上げか、肘を曲げて身体を上に上げたまま、体勢キープで筋肉に負荷をかけてるトコだったから。 水渦(みうず)さんに最初に声を掛けたのは、僕……ではなく、意外にもユリちゃんだった。 「水渦(みうず)さん、おはようございます」 ほわんとニコニコ、力の抜けた可愛い笑顔。 僕や(らん)さんにしてくれたご挨拶となんら変わりはない。 それに対し対し水渦(みうず)さんは……どう応えるだろう。 彼女の場合、挨拶をスルーしたって不思議じゃない。 人としてどうかと思うが、残念ながらそれが彼女の仕様なの。 ハラハラしながら2人の様子を見ていると…… 「おはようございます」 か、返したーーーー! 水渦(みうず)さん! ユリちゃんにご挨拶したーーーー! しかもですよ! 口の端が僅かに上を向いている! アレ、笑顔ですから! 素人には分からないかもしれないけど、笑ってますからーーーー! ココロの中で大騒ぎ。 水渦(みうず)さんが人に挨拶しただけで、こんなにも嬉しいものか。 と、そこに。 懸垂を終え、トンッ! と床に降りた社長も妻に続いた。 「モーニン! ミューズ!」 くしゃっと破顔で暑苦s……もとい、熱血ライクの良い笑顔。 僕や(らん)さんにしてくれたご挨拶となんら変わりはない。 それに対し対し水渦(みうず)さんは……一瞥し、小さく顔を上下しただけ。 アイター、なんたる差、なんたる塩対応! だけどこれ、猫と同じだ。 猫もさ、呼ばれたり挨拶されたりした時に、その日の気分で面倒くさいと、身体の一部をかすかに動かし返事の代わりにするんだよ(耳とか尻尾とかチョコっと動く)。 水渦(みうず)さん、社長の挨拶は面倒だったんだな。 軽く社長を受け流した後。 水渦(みうず)さんは自席にカバンを置きながら、僕と(らん)さんに目を向けた。 最初に(らん)さんを見て、次に僕を見て……その時、ガッツリと目が合ったのだが、僕らは何も言わないまんま、しばらく互いを見てたんだ。 それで……朝のご挨拶というか、軽く雑談というか……とにかく僕は話がしたくて口を開きかけたんだけど、……ワザとなのかそうでないのか、水渦(みうず)さんはふと目を逸らし後ろを向くと、ユリちゃんにこう言った。 「ユリさん、早速ですが交通費の精算をお願いします。書類は自宅で作成済ですので」 抑揚のない話し方、だけど圧は感じない。 ユリちゃんはお姫の頭を一撫ぜした後、パタパタと自分の席に移動して、 「かしこまりです。ではでは書類をお預かりします、………………わぁ、今日も完璧、不備無しです。これならすぐに精算出来ますからね。少しだけ待っててください」 受け取った交通費精算書類を机に置いて、カタカタとキーボードを打ち出したのだ。
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