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軽く床を蹴っただけでふわりと霊体が宙を舞い、大澤家のみなさんが次々と金色の三車線に移り立った。
自分は最後でいいからと大澤家のみんなを先に行かせる院長は、ギリギリまで長年すごした院長室を目を細め眺めていた。
きっと……何十年分の思い出が今更ながら走馬灯のように流れているのだろう。
「院長さん、」
囁くようなしゃがれ声。
弥生さんが小さな後ろ姿に優しく声をかけた。
『あぁ、すみません。最後にこの部屋を目に焼き付けておきたくてねぇ。まったく未練がましいったらない。お恥ずかしいかぎりです』
照れたように天然パーマの綿あめを掻きながら笑う院長は、“未練がましい”と言いながらも表情は晴れやかだ。
「いいんじゃない? だっていい思い出ばかりなんでしょう? そりゃ焼き付けたくもなるわよ」
そう言った弥生さんは、徹夜明けですっかり化粧は落ちてるし、くたびれすぎた巻き髪はぼさぼさで、黒いワンピースも泥だらけのシワだらけだ。
それでも____
真新しい朝の光を浴びて笑う弥生さんは菩薩のように美しかった。
口が悪くて暴力的で、ちょっぴり下品な女性。
それなのに、この人がいるとなぜかみんなお腹の底から笑ってしまう。
同じことを僕が言ってもこうはならない。
嫌なことも不安なことも、しゃがれた明るい大声に一掃されてしまうんだ。
世間一般の癒し系女子と大きな違いはあるけれど、弥生さんがどうして“癒しの霊媒師”と呼ばれているか、少しだけわかったような気がした。
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