第十一章 霊媒師 キーマン

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コーヒーの苦さが甘さを際立たせ、甘さが苦さを和らげる。 辛い時も、悲しい時も、独りの時も、甘くてとろけるスィーツとプリティな雑貨があれば、ずっとは無理でもあと少しだけ頑張ってみようと思うことができる。 たかだか26年の俺の人生はブラックコーヒーによく似ていた。 酸味のきいた苦い味。 大人になった今となっては、そんな苦味も楽しむことができる。 だけど子供の頃はやっぱり辛かった。 ああ、なんだろう? 身体が痛むせいなのか、それともガイの背中が温かいせいなのか、思い出そうとしている訳でもないのに、子供の頃の苦い記憶が頭の中に滲みだしていた。 …… ……………… アメリカ人の父親と日本人の母親から生まれた俺の顔は濃い。 彫りの深い目鼻立ちにブラウンヘアーとヘーゼルアイズ。 大人になった今でこそ減ってはきたが、子供の頃はこの容姿のせいでよく差別をされて苛められていた。 小さな子供は正直で残酷だ。 生まれ育った小さな町にハーフの子供は珍しく、異端の容姿が苛めの対象になるのにそう時間はかからない。 幸い__と、捉えていいのかわからないが苛めに暴力はなかった。 あったのは徹底的な無視。 それから物をよく隠された。 お気に入りの文房具にストラップ、下駄箱にあったはずの上履き、大事な物ほどよく隠された。 それでも親には言えなかった。 おまえは日本人じゃないからと、髪や目の色がおかしいからと、顔がみんなと違うからと、蔑まれ、無視をされ、物を隠され、陰口を叩かれる、自分の子供がそんな目に合っているとわかったら悲しませてしまうと思って言えなかった。 特に父親がそれを知ったら自分を責めるに決まってる。 だから俺は必死だった。 物を隠されているということがバレないように、毎日毎日、教室のゴミ箱を、学校裏の林の中を、校庭の隅から隅まで、池のまわりも、花壇の中も、這いつくばうように探すのが日課になっていた。 そんな苦い毎日を繰り返すうちに、俺は限界を迎えていたんだと思う。 その日は学校裏の林の中で、死んだ婆ちゃんからもらったキーホルダーをさがしていた。 林の中は広く、いくら探しても見つからないし、雨が降ってきたけど傘はないし、気持ちは焦るし疲れているし、悲しくて情けなくて、泥水でグチャグチャのスニーカーがひどく惨めで、泣いて叫んで、行き場のない苛立ちをぶつけるように、自分で自分の顔を何度も何度も殴りつけた。 もう嫌だ、疲れた、惨めだ、靴の中が気持ち悪い、淋しい、独りは嫌だ、顔が潰れたら友達できるかな、友達ほしいよ、無視したりしない、物を隠したりしない友達がほしい、顔、顔、顔、顔が潰れたら、きっと、えい、えい、もっと、もっと、顔を潰そう、えい、もっと、潰れたら、友達、一緒に探してくれる友達、心配してくれる友達、できるかな。 あの時はきっと、心の中のコップが割れて、水も腐ってそれが溢れて、俺はおかしくなってたんだと思う。 鼻血が出るほど顔を殴って、鼻がおかしくなって、頭もおかしくなって、だから最初はわからなかったんだ、だけど気付いた。 誰もいない林の中、どこからともなく漂ってきた甘い匂い。 雨の匂いに混ざり、少し粉っぽい優しい匂い。 俺は自分を殴るのをやめてシャツで鼻をかみ、深呼吸するみたいに甘い匂いを吸い込んだ。 あ……これ婆ちゃんが作ったクッキーの匂いだ。 分厚くて大きくて粉っぽくて甘い、決して上手とは言えない手作りクッキーの懐かしい匂い。 アメリカ人だった婆ちゃんは日本語が話せない。 それでも婆ちゃんの甘いクッキーがあれば、家族みんなでそれを食べれば、言葉が通じなくても幸せだった。 誰もいないはずなのに、どうして甘い匂いがするのだろう? もしかして婆ちゃんの幽霊がクッキーを持って来てくれたのだろうか? と、林の中をグルグル探してみたけど婆ちゃんはどこにもいない。 婆ちゃんを見つけることはできなかったけど、おかしくなっていた頭の中は穏やかに落ち着いて、声なき声が囁くようにそれ(・・)を教えてくれた。 なんとも言えない不思議な感覚だった。 「あっちなの?」と教えられたままに足を進め、「ここなの?」と地面にかがむと、あれだけ探しても見つからなかった婆ちゃんのキーホルダーが、確かにそこに落ちていた。 それ以来、なにかを探す時には必ず甘い匂いが漂うようになった。 死んだ婆ちゃんが助けてくれているのかもしれないが…… 真相はいまだわからない………… ……………… ………… ……
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