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「弥生さん……」
覗き込む猫のような大きな目。
感情によって雰囲気がコロコロ変わる、まさに本物の猫のようだ。
今の弥生さんは、シチューを一緒に食べた妹キャラでもなく、頼れて強い姐御キャラでもなくニュートラルで、ただただ優しく見つめてくれる。
気が……抜ける……まだ不安で怖いけど……安心する……
カウンターからまわりこみ、僕の前にしゃがむ弥生さんは、
「どうした? 泣きそうな顔して。悪霊に苛められたのか?」
と眉を下げ歯を見せて笑った。
その時、ほのかに甘い香りが漂った。
マジョリカさんのとはまた違う、遠い過去に咲く金木犀のような香りだった。
「弥生さん……僕ね、悪霊を滅したんだ」
駄目だ、言っただけで感情が昂ってしまう。
弥生さんの前で泣きたくないのに。
そう思う反面、いっその事カッコ悪いくらいに泣いてしまいたかった。
泣いて心配されて慰められて、早く『ダイジョウブだよ』って言われたかったんだ。
「そうなのか! スゴイじゃないか! 一人で頑張ったんだな。どこで戦ってたんだ?」
ニコニコ笑う弥生さんは僕の頭を撫ぜてくれた……そう、まるでヤヨちゃんを撫ぜるように。
「そうか……アタシとエイミーちゃん。同じリビングで、それぞれ違う悪霊と戦ってたんだな。轟音が聞こえたって言っただろ? それ、アタシが悪霊にトドメ刺した時の音だよ」
同じ部屋で同じ時間に、同時に戦っていたんだ。
弥生さんの話を聞くと、僕がいた空間とまったく違う。
霊の持つフィールドに引っ張られたんだ。
同じ空間であって、同じでない空間だ。
それぞれの戦いが終わった今。
キッチンの床に二人並んで座っていた。
本当はすぐにでもマジョリカさんの元に戻りたい。
でも僕の手が、身体が震えてどうにもならない。
弥生さんはそんな僕を責めるでもなく話を聞いてくれた。
「僕ね、怖くなっちゃったんだ。さっき滅したのは本当に死者だったのかって。僕の目に死者と生者の見分けがつかないから、頭が吹き飛んだの視て、グロくて、気持ち悪くて、ショックを受けちゃって……なんか情けないよね」
こんなコト……言ったって仕方ないのに。
こればっかりは、自分の中で解決するしかない……そんなの分かってる、だけど怖くて不安で泣きたいくらい辛いんだ。
愚痴っても困らせるだけなのに、それでも聞いてほしくて、吐き出したくて仕方なかった。
大丈夫だよって笑ってほしかったんだ。
「そっか……ショックだったな。そんなのアタシだって怖いと思う。アタシが平気で悪霊を滅する事が出来るのは、全身黒タイツに視えるからだ。黒ければ確実に悪霊で間違えようがないもの。エイミーちゃんみたいに生者と変わりなく視えてしまうと、こういう時辛いよな。でもね……エイミーちゃんが頑張ったからマジョリカを、ヤヨちゃんを守る事が出来たんだ。ありがとうね」
そう言って、ふにゃりと笑った弥生さんは、僕の頭を引き寄せてそのままギュッと抱きしめてくれた。
さっきマジョリカさんにそうしたように、僕の背中をトントンとたたいてくれた。
弥生さんの腕の中はとても温かくて、トントンされる背中が安心出来て、涙が溢れて止まらなくて、俯いたまま何度も何度もお礼を言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。エイミーちゃんはがんばった。だいじょうぶ、泣いていいよ、いっぱい泣いちゃえ。アタシがみんな受け止めるから」
小さな声だった。
囁くように、トントンしながら、もう片方の手は僕の頭をゴシゴシと撫ぜながら。
ああ……思い出した。
埼玉の廃病院の現場。
社長は弥生さんの事をこう言ってたんだ。
____あんなんでも”癒しの霊媒師”って呼ばれてるからな、
幼い頃に嗅いだ金木犀の香り、
母親のような温かさ、
だいじょうぶ、と繰り返すハスキーな小声…………
…………ああ、本当だ、
恐怖が、不安が、
波が引くように消えていく、
心が、癒されていく。
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