第十六章 霊媒師 弥生の気持ち

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「弥生さん……」 覗き込む猫のような大きな目。 感情によって雰囲気がコロコロ変わる、まさに本物の猫のようだ。 今の弥生さんは、シチューを一緒に食べた妹キャラでもなく、頼れて強い姐御キャラでもなくニュートラルで、ただただ優しく見つめてくれる。 気が……抜ける……まだ不安で怖いけど……安心する…… カウンターからまわりこみ、僕の前にしゃがむ弥生さんは、 「どうした? 泣きそうな顔して。悪霊に苛められたのか?」 と眉を下げ歯を見せて笑った。 その時、ほのかに甘い香りが漂った。 マジョリカさんのとはまた違う、遠い過去に咲く金木犀のような香りだった。 「弥生さん……僕ね、悪霊を滅したんだ」 駄目だ、言っただけで感情が昂ってしまう。 弥生さんの前で泣きたくないのに。 そう思う反面、いっその事カッコ悪いくらいに泣いてしまいたかった。 泣いて心配されて慰められて、早く『ダイジョウブだよ』って言われたかったんだ。 「そうなのか! スゴイじゃないか! 一人で頑張ったんだな。どこで戦ってたんだ?」 ニコニコ笑う弥生さんは僕の頭を撫ぜてくれた……そう、まるでヤヨちゃんを撫ぜるように。 「そうか……アタシとエイミーちゃん。同じリビングで、それぞれ違う悪霊と戦ってたんだな。轟音が聞こえたって言っただろ? それ、アタシが悪霊にトドメ刺した時の音だよ」 同じ部屋で同じ時間に、同時に戦っていたんだ。 弥生さんの話を聞くと、僕がいた空間とまったく違う。 霊の持つフィールドに引っ張られたんだ。 同じ空間であって、同じでない空間だ。 それぞれの戦いが終わった今。 キッチンの床に二人並んで座っていた。 本当はすぐにでもマジョリカさんの元に戻りたい。 でも僕の手が、身体が震えてどうにもならない。 弥生さんはそんな僕を責めるでもなく話を聞いてくれた。 「僕ね、怖くなっちゃったんだ。さっき滅したのは本当に死者だったのかって。僕の目に死者と生者の見分けがつかないから、頭が吹き飛んだの視て、グロくて、気持ち悪くて、ショックを受けちゃって……なんか情けないよね」 こんなコト……言ったって仕方ないのに。 こればっかりは、自分の中で解決するしかない……そんなの分かってる、だけど怖くて不安で泣きたいくらい辛いんだ。 愚痴っても困らせるだけなのに、それでも聞いてほしくて、吐き出したくて仕方なかった。 大丈夫だよって笑ってほしかったんだ。 「そっか……ショックだったな。そんなのアタシだって怖いと思う。アタシが平気で悪霊を滅する事が出来るのは、全身黒タイツに視えるからだ。黒ければ確実に悪霊で間違えようがないもの。エイミーちゃんみたいに生者と変わりなく視えてしまうと、こういう時辛いよな。でもね……エイミーちゃんが頑張ったからマジョリカを、ヤヨちゃんを守る事が出来たんだ。ありがとうね」 そう言って、ふにゃりと笑った弥生さんは、僕の頭を引き寄せてそのままギュッと抱きしめてくれた。 さっきマジョリカさんにそうしたように、僕の背中をトントンとたたいてくれた。 弥生さんの腕の中はとても温かくて、トントンされる背中が安心出来て、涙が溢れて止まらなくて、俯いたまま何度も何度もお礼を言った。 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。エイミーちゃんはがんばった。だいじょうぶ、泣いていいよ、いっぱい泣いちゃえ。アタシがみんな受け止めるから」 小さな声だった。 囁くように、トントンしながら、もう片方の手は僕の頭をゴシゴシと撫ぜながら。 ああ……思い出した。 埼玉の廃病院の現場。 社長は弥生さんの事をこう言ってたんだ。 ____あんなんでも”癒しの霊媒師”って呼ばれてるからな、 幼い頃に嗅いだ金木犀の香り、 母親のような温かさ、 だいじょうぶ、と繰り返すハスキーな小声………… …………ああ、本当だ、 恐怖が、不安が、 波が引くように消えていく、 心が、癒されていく。
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