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駅を背中に真っ直ぐ100m。
男の足で歩けば1分程度で到着できる好立地にウチの会社がある。
レンガの外壁に蔦が絡まる三階建ての古いビルで、門の横には『株式会社おくりび』の看板が鈍く光っていた。
その看板が埋め込まれた大きな門柱にピョインと飛び乗ったのは、僕が愛してやまないラブリー&スィートハニーこと大福姫だ。
姫は朝の眩い光を浴びて大きく伸びをすると、『うなぁん』と一声キュートに鳴いた。
クラッ……
ズキューーーーン!!
「か、可愛いっ! 大福ぅ! キミは世界一だよっ!」
あまりのプリティさに思わず声を発してしまった僕だったが……アウチ。
大福は幽霊猫で、一般の方々にこのエンジェルすぎる姿は視えない。
ゆえに、出勤途中のサラリーマンの訝し気な目線がズブズブと僕に刺さり……もうアイタタタなのだ。
やっちまった……が、仕方がない。
だって大福はずっと黄泉の国に逝ってたんだよ?
二カ月近くも離れ離れでめちゃくちゃ淋しかったんだ。
それがやっと逢えたんだもの。
こうして一緒に出勤するのも久しぶりで、そりゃあテンションも上がるでしょ。
うぅ、しかし蒸し暑い。
六月の上旬、いつ梅雨入りしてもおかしくないこの時期は、駅からちょっと歩いただけでも湿度の高さに汗ばんでしまう。
いやぁアツイアツイ、一分でも早く涼しくなりたいぞ。
それにはカバンの中に扇子もあるけど、もっと良い方法があるんだ。
僕は門柱でエレガントに座る大福を抱き降ろすと、クールでワガママなポッチャリボディをギュウっと抱きしめた。
「ああ……冷たくて気持ちがいい。さすが霊体、チョーひんやりだ」
幽霊猫って夏はエコだよね。
この仔がいればエアコンいらずだ。
冷たい霊体は大きくて柔らかくて、どんな体勢で抱っこしても、僕にピッタリフィットする。
抱き心地もグレートだ。
『うなぁん(ゴロゴロゴロゴロ)』
大福は僕の腕の中で喉を鳴らして目を閉じているのだが……
くぅーっ、癒されるぅ!
これだよっ! 僕の幸せってやっぱり猫なんだなっ!
始まってもいない恋に破れ(弥生さん、お嫁にいっちゃったんだもん)ちょっぴり傷心だったけど、大福のおかげで七割立ち直った感がある。
この分じゃあ、僕の中に新たな真珠は出来なさそうだ。
「さあて。そろそろ中に入ろうか。大福、僕と一緒にお茶を飲もう」
抱っこの猫又にそう言うと、『うな』と返事をしてくれた。
この『うな』は『うむ』に等しい。
これがもし『うなぁ? うなうなうな』だと『えぇ? まだいかない』なのだ。
大福は日向ぼっこが大好きだからねぇ、ふふふ。
門扉から社屋に入るまで、たっぷり時間をかけながらテクテクと歩く。
こんななんでもない時間すら幸せで、デレデレと顔を緩めていたその時。
僕の背後からやる気のなさそうな、もしくは低血圧の方ですか? と聞きたくなるような、脱力し間延びした声が聞こえた。
「ざいまーす、」
「ん?」と振り向くとそこには。
若くて細身の男性がヘッドホンを付け、スマホをポチポチ弄りながら社屋入口に向かって歩いていた。
ざいまーす……って、もしや「おはようございます」ってコトかな?
僕の背中を通り過ぎ、すでに後ろ姿と化しているけど、慣れた様子でガラス扉を開けている。
オーバーサイズのチェックのパンツに、同じくオーバーサイズのベージュのシャツでゆるコーデ。
斜め掛けの黒いバックは小さくて、あれじゃあお財布以外は入らなそうだ。
でもって髪はオレンジ色で、柔らかそうな毛先がクルクルと外に向かって跳ねていた。
な、なんかオシャレな人だな、若そうだったし。
社長やジャッキーさんとは真逆のタイプだ。
てか……あの方、どなた?
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