2366人が本棚に入れています
本棚に追加
◆
「それじゃあ、二人とも気を付けて。誠、ユリちゃん乗せてるんだから安全運転で行くんだぞ」
玄関で見送ってくれるお義父さんがそう言うとマコちゃんは、
「当たり前だろ。大事な嫁さん乗せるんだから安全第一で行くっつの。親父こそ気を付けて行けよな。今夜からまた地方だろうが」
あ、そうだ、出発今夜だったっけ。
プロレスラーを引退して何年もたつけれど、お義父さんはいつだって忙しい。
講演とか若手育成とか取材とか、いろんな仕事で月の半分は家を空けるんだ。
「ああ、今回はW県に行ってくる。仕事は二日程で終わるけど、帰ってくるのは来週だからよろしくな」
「なんだよ、珍しい。どこか寄ってくるのか?」
不思議そうな顔をしたマコちゃんが聞いたけど、答えるお義父さんはしどろもどろになっている、……こんなお義父さんを見るのは初めてだ。
「んん? ああ、まぁ、その、ちょっとしたヤボ用だ。なに、つまらない用事だから気にするな。そんな事より、早く出ないと道が混むぞ。あ、ユリちゃん、お土産買ってくるからね」
大きな手をフリフリしながら笑うお義父さん。
ヤボ用ってなんだろう……気になるなぁ。
いいや、帰ってきたらこっそり教えてもらおう。
”いってきます”と”いってらっしゃい”、その両方を言った後、マコちゃんの運転する車に乗って会社へと向かう。
スーツに着替えたマコちゃんはため息が出るほどカッコイイ。
運転にジャケットはジャマだからと私に寄越してハンドルを握る。
チラッと横目で隣を見れば……キャー!
ワイシャツの上からでも腕がゴツゴツしてるのがわかっちゃう。
そんな逞しい腕でする五速マニュアルのギアチェンジ。
一速、二速、三速と、ギアが上がるたびに私の気持ちもどんどん上がる。
「ユリ、寒くねぇか? 湿度高いからエアコンつけたけど、止めてもいいぞ?」
止めたらマコちゃん、暑くなっちゃうクセに。
優しいな、いつだって私に合わせてくれる。
「ううん、大丈夫。ジャケットかけてればちょうどいいよ」
「そうか、寒くなったら勝手に止めろ。それとお茶くれ」
「うん」
家から持ってきたボトル水筒には、岡村さんに教えてもらったハーブティが入っている。
マコちゃん、岡村さんのお茶を飲んでから、すっかり気に入ってしまったみたいで、
「あれうまかった。草花磨り潰したみてぇなよ、ハーブティとかいうヤツ」
プロテイン以外でこんなに言うなんて珍しいなと思って、聞いてすぐ、会社のお昼休みに岡村さんと駅ビルまで買いに行ったんだ。
それ以来、ハーブティは切らさない。
片道1時間はかかる距離、マコちゃんは必ず私にお茶をねだる。
お茶を飲んで、おしゃべりして、朝の通勤ドライブは二人っきりの大事な時間、私はこの時間が大好き。
なのに……早起きのせいなのか、車の中が心地いいせいなのか、私は途中でいつも眠くなっちゃうんだ。
マコちゃんは寝てていいぞって言うけど寝たくない。
寝たらそのぶんもったいないもん。
ああ、幸せだなぁ。
この車に何回乗せてもらっただろう。
初めて乗せてもらった時は、嬉しかったけど、それ以上にすごく緊張したのを覚えてる。
最初のコメントを投稿しよう!