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ノートに顔を埋めて震わせている私の肩を、成瀬君がそっと引き寄せる。少しして私が落ち着きを取り戻して顔を上げると、成瀬君が問いかけてきた。
「あの指輪、持ってますか?」
「持ってきたわ」
此処へやって来る前に、電話で指輪を持ってくるようにと言われていた。何がなんだか分からないまま、言われた通りペンダントチェーンに指輪を通してずっと首から下げていた。
それを胸元から取り出して成瀬君に見せた。眩い光が、静まり返った美しい景色を包み込むように照らし始める。私が翳〈カザ〉した指輪も。
「敏子さん。もう一つ、奥さんから渡されたものがあったんです」
「え?」
手袋を外し、成瀬君が私の頬を伝う涙を拭いながら、もう一つの事実を教えてくれた。
「その指輪は敏子さんが別れを告げたクリスマスイブの日、高原さんが敏子さんに贈ろうとしていたものです」
指輪と成瀬君を交互に見る。
「あの人から?この指輪、成瀬君からじゃなかったの?」
この指輪を貰ったその日からずっと、成瀬君から貰ったものだとばかり思っていた。
あの人が私に贈ろうとしていた指輪が、今この手の中にある。あの人が、私の為に選んでくれた指輪。
指輪の裏側には、あの人と私の名前のイニシャルが刻まれていた。
ボタンの掛け違いさえなかったら、私は幸せを掴めていたのだろうか。
成瀬君が首を横に振り、謝ってきた。
「本当のことを告げるべきなのか迷いました。指輪もノートも捨ててしまおうかとさえ思いました。けれど、ノートに書かれてあることを読んだら、どちらも捨てられませんでした。捨てられる訳がないんです。捨ててしまったら、敏子さんが知るべき想いを失ってしまうことになりますから。そうかと言って、貴女に全てを告げる勇気が今の今まで持てませんでした」
富士山に二人で登ったあの時、この指輪を渡していたならば、何かが変わっていたのだろうかとあの人はノートに書いていた。
もう一度やり直せるなら、富士山の頂上に登って笑いあったあの日に還りたい。そして、指輪を贈ってプロポーズしたいと。
「全てを此処で敏子さんに知らせようと思いました。此処なら、きっと高原さんに一番近い場所だろうから」
成瀬君はあの人のことを優しすぎると言った。けれど、成瀬君も同じだ。
あの人と私のことを考えて、此処まで私を連れてきてくれて、こうして話してくれたのだから。
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