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「だから、指輪を持ってこいって言ったのね」
そう言って、私は泣きながら小さく笑った。
あの日、どんな気持ちで成瀬君が私にこの指輪を渡したのか。あの時の表情が、全てを物語っていたと思う。そこには様々な葛藤があった筈だ。
けれど、私の心の中にあの人の存在がずっといることを成瀬君は知っていた。
その想いごと、彼は私を受け入れてくれたのだ。
あの人の想いと私の想い、その両方を大切にしてくれた。
「綺麗ですね、この眺め。こんな世界があったんですね」
光輝く朝陽を見つめながら、成瀬君がいつもの柔らかい表情で呟く。
「本当に、きれいね」
時間は巻き戻せはしないけれど、もう一度同じ山に登って、あの人の想いに触れることが出来た。
あの人に、会えた。
不思議な気持ちだった。
あの人を想って、思いっきり泣いてすっきりしたからなのか。
知りたかったあの人の、本当の胸の内を知ることが出来てすっきりしたからなのか。
それとも、目の前に広がる美しい景色を成瀬君と見ているからなのか。
清々しい風のようなものが、心の中を吹き抜けている気がしていた。
多分その全部のお陰なのだと思いながら、私は隣りに立っていた成瀬君の手を握った。
「成瀬君、ありがとう」
「何がですか?」
「あの人の想いを、此処で私に届けてくれて」
あの人との一番大切な想い出の場所で、大事なことを気づかせてくれて。
そう告げた私の顔を無言で暫く見つめてから、成瀬君が嬉しそうに微笑んだ。
「今の敏子さんの笑った顔、俺が見てきた中で一番素敵です。その笑顔が、ずっと見たかったんです」
「涙でぐちゃぐちゃになった、こんなすっぴんのアラフォーおばさんの顔を?」
「はい。もうずっと、待ち焦がれてました」
そう自虐めいた言葉を呟いて笑う私の手を指を絡めて握り返しながら、成瀬君が呟く。
富士山から見える朝焼けの美しい景色を、私達は長い間ずっと眺めていた。
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