ただ、想い続けるだけなら。

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「お世話になりました」  最後の日、総務の人たちからは花束をもらった。決算処理で忙しいため、送別会はまた日を改めてやろうと言われていたこともあり、定時になると、要は自分の荷物をまとめた紙袋を抱えて、フロアのみんなに頭を下げて、エレベータに乗り込んだ。  初出勤のときは、乗れなかったエレベータ。  階段で浜村主任と会って、課長になったと聞いたこと。  研修で鷲尾さんに新入社員みんなで何度も注意されたこと。  外見だけで決め付けて、捨てられていた吸殻を森中工務店さんのせいにしたこと。  めったに怒らないという浜村課長に怒られて、書庫担当になったこと。  森中工務店さんに謝る気もなくて謝りに行って追い払われたこと。  改めて出向いて、その後、工務店でパソコン教えろといわれたこと。  理不尽な毎日を過ごしながらも、純太郎に会っていろんな発見をしたこと。  純太郎のおかげで書庫を大改造するきっかけができたこと。  純太郎の……  仕事のことを思い出していたはずなのに、思い浮かぶのは純太郎の顔ばかりだった。  あれから、気づけば一ヶ月近くも純太郎の顔を見ていない。 (この時間はまだ仕事だろう。一生懸命に働くあのオレンジのツナギ姿はかっこいいんだろうな)  そんなことをぼんやり考えながらエレベータの下がっていく階の表示を見ていた。  このビルから出てしまえば、社員じゃなくなる。もう偶然会えることだってないだろう。もしかしたら、二度と会えないかもしれない。  そう、この純太郎の顔に……。  オフィスビルに面したその道路に、森中工務店と書かれた軽トラをビルの前に堂々と停めて、お世辞にもお育ちがよいとはいえないオレンジのツナギを着たその人は腕組みをしながらこちらを睨みつけていた。  夢ではない。そこにいたのは確かに純太郎だった。 「純太郎……さん?」 「おう」 「な、何して……わぁっ!」  純太郎はいきなり要のスーツの胸倉を掴んで持ち上げた。たくましい腕は、要を簡単に吊り上げて、要の足は簡単に宙に浮いた。 「おまえ、なんで会社やめてんだよ、コラ」 「く、苦し……」 「男が、一度やると決めたことを投げ出すな」 「す、みませ……ん……」 「あと、なんでアキラなんかに伝言頼んだんだ?直接俺に言いにこいよ、腰抜けが」
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