第1章

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 そんな中に、ひときわ人目を惹く黒塗りロールス・ロイス。ボンネットには天使のエンブレムが燦然と輝いている。 「だいたい、なんでこんなでっかいのに乗ってきたのよ。駅前のロータリーなんて混雑してるに決まってんだから、逆にめんどくさいじゃない!」 「すみません。事務所に、空いている車がこれしかなかったものですから」 「事務所ってゆーな!!」  いや、国会議員柴 博正(ひろまさ)連絡事務所に、「事務所」以外の呼び方があるはずもないのだが。 「その……、あれはどうしたのよ。こないだ買ったっていう、ハイブリッドのエコカー」 「先生が町工場の視察で使っておられます」 「パパが? ……そっか、それじゃしょうがないか。パパ、エコ推進派議員でアピールしてるし、エコカーに乗ってなきゃ、サマになんないよね。――あ、だったら、お兄ちゃんの車借りてくれば良かったじゃない。シヴォレーでも、マセラティでも」 「紀之(のりゆき)さまはまだ、視察のためご旅行中です。お留守に無断で愛車をお借りするわけにはいきません」 「だったら、あんたの車で来なさいよ! ミニバンでもワゴンでも、こんなんで来るよりマシ!」 「すみません。俺はまだ、自分の車を持ってません」 「え……」  たしかに、政治家の私設秘書なんて貧乏暇なし、昔の丁稚奉公、住み込み書生と大差ない。自分の車が買えるほどの余裕などないだろう。 「わかった。もういい。もう帰って、龍」  ふくれっ面で、明日香は言った。 「あたし、駅までみんなと一緒に歩くから。お茶と買い物が終わったら、迎えに来て」 「しかし、それでは――。明日香さまにはけして一人歩きをさせるなと、先生からも何度も言われております」 「ひとりじゃないわよ、お友達と一緒! それにここから駅までなんて、一㎞もないでしょ。しかもこんな真っ昼間、人もいっぱい歩いてるバス通りで、いったいどんな危険があるっていうのよ!」  蓮女大から最寄りの私鉄駅までは、プラタナスの並木が美しい大通りをまっすぐ歩くだけだ。  バス停にして四つ、徒歩でもせいぜい一〇分程度だろう。    その、わずか一キロ足らずの距離を車で送らせるため、わざわざ都心にある父の事務所から龍太郎を呼びつけたことは、この際きっぱり無視する。 「わかりました。ではご用がお済みのころに、もう一度俺の携帯にお電話をください。駅前までお迎えにあがります」
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